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こゆめ
@__koyume
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Joined May 2019
いわゆる"優秀な若手が辞めていく理由"って色々あると思うけど、1つよくあるのは『時代的にもうそんなのありえないでしょ』っていうことを園の文化として当たり前にしている現状がある中で、「変えていく気がないな」と感じた時点で「辞めようかな」が働くんだよね。 世の中の動きや流れが見えている人ほど「この場所にいたら置いていかれるかも」とか「このままだと感覚が狂う」と思って他の園を探し始める。 どんなに園で「3年は勤めないと」とか言われても、社会的に転職=悪にはなっていないことを知ってるし、SNSを開けば若くても色んな職場を経験している人たちがゴロゴロ出てくるから心理的なハードルは決して高くない。しかも保育士は資格を取得していれば基本的にはどこでも働けるから、転職との相性は非常にいい。 お金で動いてる転職エージェントにひっかかって思い描いた転職にならず「結局保育業界って最悪。どこいっても一緒」となることもあるけど、ここは正しい転職活動の仕方を知っていれば防げる話。保育をしているとなかなか触れることはないけど、個人的には自己分析と園見学に尽きると思う。 10の姿というワードが出てきて約6年ということは、この概念を学んで現場に出てきている人がもう6年目ということ。2〜3年目の保育者ならなおさら、自分の中の常識と実際の現場とのギャップは大きくなる。保育内容の部分だけではなくて、働き方、働きがいの部分でも同じことが言える。 自走していける職員を採用して育成していく要はリーダー層がこのことを理解しておくこと。現場あるあるの「経験が長い職員が1番えらい」の思考を一旦考え直して、『どの職員もが一緒になって保育や組織運営について考えていく土台』を作ることが求められる気がする。 子どもにとっても、保育者にとっても、保護者にとってもいい保育施設が増えることを願う。
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保育者の「遊びを広げていく力」は努力の結果なのか、元々もっているセンスなのか、これまでの経験なのか。どれなんだろうか。 子どもがこぼした一言やちょっとした行動をサラッと拾ってすぐに仕掛けをする保育者もいれば、他人から展開の提案をもらっても特に手をつけず明日を迎える保育者もいる。でも後者も、やりたくないわけではないし、もらった提案に違和感を覚えているわけでもない。とすると、何がそうさせるのかなぁと。 なんとなく感じるのは、ゴールから逆算する保育と、スタートから走っていく保育のどちらを多く経験しているかで思考回路が変わっているような気がするということ。 ゴールから逆算というのは、ある程度年間で行事が決まっていて、いかに無理なく子どもたちが興味をもてるように展開していくかを考えて大人の思いから計画的に保育をするようなタイプの園。 スタートから走っていく保育は、子どもが何かに疑問に持っている姿や不思議に感じている様子を見て広げていった結果、行事に繋がったり探求に繋がったりすることを目指しているような園。 きっとゴールから逆算型が染み付いている方にとっては、スタートから走っていく方法がイマイチ思い浮かばない。「行事の間の自由時間に何をしたらいいかわからない」のような悩みを抱えている方がきっとこのような感じ。 どちらも大変で難しいんだけど、「この姿があるならこういうことも面白がりそうだな」とか、「何が楽しくてあんなに繰り返し遊んでるんだろうか?」とか、そんなことを考える時間が多いのはおそらくスタートから走る型の保育をしている方。ある意味「園のやり方」で思考停止せずに、無意識的に考え続けているんだろうと思う。 だから結局、ゴールから逆算型の保育をしてきた方は、遊びを広げる選択肢があまり思い浮かばないし、教えてもらったとしてもそこからどうしたらいいのか本当に分からず悩んでしまうのかなと。 でもここで思うのが、元々持ち合わせているセンスも響いてくる気がするということ。特に4、5歳児は仲間の影響を大きく受けるわけだけど、子どもが表現したものの"魅せ方"みたいなものって本当に保育者によって様々。大人が「センスが光ってるな」と感じるものは、子どもたちも興味をもったりする。この点に関しては、努力で磨かれるのか謎だなと思う。 現実に見ている世界では変わっていたけど、SNSをぼんやり眺めていても保育のやり方がハッキリと分かれ始めているように見えてきた。転職も当たり前になってきて 違う経験をしてきた人たち同士が同じように保育をしようとしているわけだから、そりゃ割れるわ。と思うわけです。
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保育園ってなんでこんなに人間関係荒れるんだろうって何年もずっと考えてるけど、なんとなく答えが出そうな。あくまでも「出そう」なだけで出てないので異論は歓迎。 まず前提として圧倒的に女性が多く、(女性だからこうと決めつけたいわけではなく、数が多いという事実ね)資格取得に必要な科目は文系。瞬時の判断が必要となる場面が多い仕事なので、理屈よりも感覚や直感を使う機会の方が多い。つまり、論理的に考えることに慣れていない人の集団になりやすい。 と仮定すると、認知バイアスと呼ばれるものにかかりやすいんじゃないかなと。 例えば、自分が起こしてしまったミスは「行事前でやらなきゃいけないことをたくさん抱えてて疲れてたから」とかその時の状況を原因とするのに、他の人がミスした時には「あの人雑だからね」とか「保育士向いてないもんね」みたいに、その人の性格がいけない、という判断をする。2人3人が同じ人のことを悪く言っているのを聞くと、「自分の判断よりもその人たちの判断の方が正しいだろう」と思い込んでその人のことがなんとなく嫌になっていく。本当はそうじゃないかもしれないのに、客観的に見て冷静に判断することが難しい。 これがあっちこっちで起こるもんだから、あっちこっちで誤解が生じる。『男性の園長に「話せば分かる」って言われてムカついた』みたいな話もよく聞くけど、多分本当にそうなんだろうと。 他の職場でも言えることだと思われるけど、特に保育園は子ども優先が第一な上に、職員1000人とか2000人とか大きな組織にはならないから、歪んだ見方をすることがくせになってる人や、他者の行動を冷静に判断することが難しい人が1人でもいると、その影響が全体に響く。そしておそらくそういう傾向にある人が多く、訂正する人が少ない。というか訂正すると叩かれたのち嫌われる。そして辞めていく。 ついでに幼稚園は、幼稚園教諭と小学校教諭の免許を一緒に取っている人も一定数いるからか、若干事情が違うように感じる。これは肌感。 だから結局、保育園の人間関係が荒れやすいのは、認知バイアスにかかりやすいからで、客観視して判断しようとする意識が作れれば極限まで悪化することは防げるんじゃないか、というハナシ。
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忘れないうちにメモをしておくだけなんだけど。一旦全てを手放して、そこからやっぱり大切だと思うもの、残しておきたいもの、色んな人の意見��受け取った上で必要なものをひとつずつ集めていくっていう工程の先に、きっとしっくりくるものが見えてくるんだろうな、と。 なにが言いたいかというと、たとえば運動会を変えようって、今までやっていた鼓笛や行進、開会式を取りやめてやってみたとして。その時はそれがいい、そうあるべきだと本気で思ってるからやってみるわけなんだけど。でもなんとなく、「これでいいのかな」「よかったのかな」っていう気持ちは残るわけで。保護者からも「見たかった」の声は届いてくると思うのよね。 こうなった時に、「やっぱり全て戻そう」ではなくて、「この物足りなさはなんなんだ?」って一度立ち止まって考えてみて、「この力は育てたいからこの競技は必要だよね」とか、「保護者さんの、子どもの成長を見たい気持ちはどこかで満たしたいよね」とか、「鼓笛が悪いんじゃなくて、やり方が良くなかったんじゃない?」とか、そういう細かいところを、時間をかけてじっくりとひとつずつ集めてみる。 決して簡単な作業ではないし、職員同士での意見の食い違いもきっと起こる。でも、ここをサラリと流してしまうと、職員も保護者もなんとなく感じるモヤモヤを抱え続けることになる。一度変えたことを再編するとなると、軸がブレているように見える可能性もあるわけなんだけど、「でも」って踏み込んでいく勇気をもてるかどうか。この勇気がもてたらきっと、自分にとって、自分たちにとって、しっくりくる行事に、保育に、なっていくんだと思うんですよ。 これがいわゆる「共主体」であり、「試行錯誤」なんだろう、とね。
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@yuheihoiku ゆうへいさん初めまして。ありがとうございます。人との繋がりがほぼ途絶えた数年を超えてみて、保育施設が目指すところが少し変わってきたというか、おっしゃるように昭和のような雰囲気ってやっぱりいいよね、になりそうな気もしますよね。
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@kizuna_hoiku 保育所と幼稚園それぞれがもつ役割りの交わり、みたいのは���心の方が起こってることよね。実践集とか見ても、主体的な遊びを突き詰めてるのは案外地方の幼稚園だったりするよね。
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