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関口高史 元防衛大学校准教授 Profile
関口高史 元防衛大学校准教授

@parsifa18401874

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戦略や戦史に興味があります。国際安全保障学会、日本防衛学会、軍事史学会等で論文掲載・発表、各大学、PHP総研、鹿島平和研、RIPS、笹川平和財団、ANA総研等で研究成果を発表しています。またNHK番組制作や各新聞取材への協力、文藝春秋、光文社、作品社等への執筆、各所で講演もしています。元防大教官(戦略)。予備1等陸佐。

日本 東京
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関口高史 元防衛大学校准教授
9 months
近日発売です。現代戦の趨勢と過去の2つの離島作戦から抽出した教訓、そして注目を集めつつある南太平洋での米中角逐などを基に、「これから」の戦争について考察しました。よろしくお願いします。作品社、本体2,400円(予価)、ISBN 978-4-86182-981-9 です。 amazon:
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
戦略の話です…。 子供の頃、先生から「なぜ鎌倉に、お寺が多いのでしょうか?」と問われました。(素直な)私は、「武士が多く明日もしれない命だから信仰心が篤い」と答えました。すると先生は、「寺はバラック(兵舎)の代わりになるんだよ」と教えてくれました。それから何十年も経ち、続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
ビックリです! これまで所在不明とされてきた牟田口廉也中将の軍刀が見つかりました! 過日、警察へ届け出、本日、教育委員会から登録証が交付されました。ご遺族の意向で自衛隊に寄贈する予定です。刀身は後日、ツイートします…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
以前にも紹介した牟田口廉也中将の手による「盧溝橋事件の真相」です。実は昨日、この下書きとも言える同題名の大学ノートを発見しました。たくさんのメモが貼り付けられています。また誰かの手で「修整不可」と記されています。近日中にご紹介したいと思います。よりによって7月7日に発見するとは。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
これまで3回、硫黄島へ行く機会がありました。最初は80年代、学生時代です。「絶対に島のものを持ち帰ってはいけない」と注意され、上陸しました。何でも不幸な出来事が起きる、とか。確かに海岸には機関銃の弾や鉄帽等が散乱していました。また当時は米軍も駐留し壕をサウナ代わりに利用して、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
ハワイから帰国する時のことです。空港で飛行機を待っていると、初老の方と息子さん?が迷彩服の人に見送られていました。彼らは近くにくると、隣に座りました。ちゃんとした身なり。そこで「あなたは軍人ですか? 僕は陸自の3佐(当時)です」と自己紹介しました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
そこで敵を待ち構えることにする。「だから寺に人で『侍』、寺に行って待つから『待』なんだ、と根拠は乏しいですが飲み屋さんで使えるネタになるなぁ、と。(貴人に侍るから「侍」という説はよく聞きます)。そうなれば「外線作戦」になるから敵を各個撃破するために騎兵と機動路が必要。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
戦略の研究をしているとき、鎌倉幕府の防衛戦略が頭に浮かんできました。有事「いざ、鎌倉」、幕府の防衛体制を迅速に強化するために移動容易な「鎌倉往還」を全国規模で展開する。そして集結した武士たちの宿泊施設として寺を利用する。彼らの基礎配置は「七つの切通し」と呼ばれる緊要地形。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
衝撃を受けたこと。ある小説に、牟田口中将の葬儀でインパール作戦に関する持論(弁明)を遺言で配るように指示されていたという記述があります。これは全くのフィクションです。当日、葬儀に参加された方、ご遺族、受付をされた方にも確認しましたが、そのような事実はありませんでした。遺影です。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
また人が集まるところ食糧は不可欠です。野菜は「鎌倉野菜」。米などの備蓄は旧市街地を流れる滑川に小舟を浮かべて対応。さらに魚は逗子と腰越港で獲れたもの。極めつけはお金です。鎌倉にお金になるものが鎮座していらっしゃいます。そうです、大仏です。大仏殿は三度の津波で流されましたが、続く…
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4 years
大仏は銅銭を溶かして造られたものです。お金の代わりになるな、と。ではなぜ鎌倉幕府は滅んだか。新田義貞率いる討伐軍は切通しを通るのを諦め、地元の漁師に潮の満ち引きを聞き、稲村ケ崎に剣を投じ干潮時の海岸線を渡り奇襲したのです。戦略を考える時、いろいろなことが頭に浮かんできます。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
防衛戦略のヒントも身近なところにあるかも、です。今回も、お付き合いさせて申し訳ありません…。引き続きよろしくお願いいたします。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
夜間降下にまつわる話です。研究科運用班長をしているとき、同じ研究科の装備班長から「研究降下の人員が不足しているから、一緒に跳んでくれないか」と言われました。なんとなく嫌な予感がしたのですが、先輩からの依頼だったので応諾しました。研究降下は単眼鏡を使った夜間降下でした。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
石原莞爾は軍事の天才だと再認識させられるときがあります。彼は戦争の進化を「点→線→面→体」と表現しました。棍棒や槍で戦うのは点。横隊の戦いは線。複雑な塹壕戦で面、それが立体戦になり「体」と。さらに石原は、次は霊界など人間にはわからない戦いになるかもしれない、と語りました。続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
2 years
盧溝橋事件の約2か月前、米国大使館の海兵隊の写真家によって撮影された支那駐屯歩兵旅団長河邊少将と同歩兵第一連隊長牟田口大佐の写真です。牟田口大佐が持っていたものです。裏に「旅団長に随行し…」と直筆のメモが残されています。ネガが米国大使館のものですから、おそらく本邦初公開では…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
創隊直後の陸自で教範を作成していた研究員の業務日誌を拝読したことがあります。そこには自分の仲間を殺した米軍の資料を基に教範を作成しなければならなくなった因果についても触れられていました。そして米軍を恨むのではなく「どんなことをしても(次は)あのような負け戦をしない」という、続き…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
また元シベリア抑留者の話です。絶望されたことは?と尋ねると、「二つある。一つは貨車で移動中、途中駅で子供に、ウラジオストックは逆だよ、と言われた時。武装解除したらウ港へ行くと言われていたから。もう一つは昨日まで元気だった仲間が朝、隣のベットで冷たくなっていた時」と話してくれました
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
米軍はイラク・アフガンの戦いで兵士のPTSDに頭を抱えていました。その解決策の一つとして目をつけたのが「武士道」です。太平洋戦争で日本軍は勇敢だった。メンタルも強かった、と。そこで米陸軍のCGSC(旧軍の陸大に相当)の教官たちに「武士道を教えてくれ」というリクエストがありました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
汗を流す米兵の姿もありました。そして森には有名な星条旗を立てる米兵の像もありました。像には無数の弾が撃ち込まれ、「お前らだけが英雄じゃない!」と彫られていました。それと一番ビックリしたのは島から帰った時、嫌われている教官の背のうに、いくつもの硫黄島の石が入れられていたことです!
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関口高史 元防衛大学校准教授
2 years
ワルシャワでポーランド軍に歓待された牟田口中将です。昭和14年の第二次世界大戦のキッカケとなった独ソ軍によるポーランド侵攻をどのように見ていたのでしょうか…。その思いをつづった記録を発見することはできませんでした。個人所蔵のため本邦初公開と思われます。新著にも掲載されていません。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
何人いるかわかりませんが、米陸軍大将と約10時間もの長きに渡って雑談をした自衛官は、そんなに多くはないような気がします。また陸軍大将が公務(初度視察)にもかかわらず、エコノミーで移動というのにもビックリしました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
敵の襲撃に曝される中、何とか物資を届けようとガダルカナル島へ強行突入した「鬼怒川丸」の姿です。今はもう、ほとんど船影を見ることはできません。時の流れを感じてしまいます。しかし、どれだけ時が経っても、悲惨な戦争の記憶まで風化させてはいけないと再認識させられます…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
ガダルカナル島での戦いに備え、第17軍隷下の第38師団将兵らに配布された貴重な史料です。当時、日本軍がどのように米軍と戦おうとしていたか、その一端がわかります。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
主戦論者たちは、どうして米軍を過小評価した、と言われるのでしょうか。これは米軍の研究員とよく話し合う題材にもなりました。拙著でも書きましたが、精神論を重視し過小評価したという「説」ではなく、結果は同じでも適正な評価をしていたが、米軍の質量の急激な変化を見逃したと考えました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
ガダルカナルの一木支隊の攻撃。現地で地形を確認し、戦闘様相を見積もると。敵の陣地は高く、日本軍の攻撃は丸見えです。また砂洲の前方には鉄条網があり、前進を阻みます。後退したくても弾幕があり、思うようにいきません。そのうち戦車部隊による突進も。こうして一木支隊は全滅したと思われます。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
軍隊には、なぜ階級章があるのでしょうか。それは指揮官が戦死した時、次に誰が指揮を執るのかを明確にするためです。民主主義の軍隊では、階級に嫌悪感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。自衛隊では上級者を「尊敬」せよ、とは書いていません。階級を「尊重」せよ、とは書いてあります。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
ガダルカナル戦でリアルタイムに書かれていた戦闘詳報(実物のコピー)です。これが書かれていた頃には一木支隊の全滅はほぼ決まっていたことでしょう。米国には、このような詳報が数万枚あり、それら一枚ずつ見ているだけで、あっと言う間に一日が過ぎてしまいます。これも日本では見られません…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
威徳の発揚の体験談です。 威徳の発揚は、どの世界にもあると思います。指揮官などのカリスマ性を高めるといった意味でしょうか。30年以上も前、初めて小隊長として演習に参加した時のことです。行進、野外宿営地の占領、中隊の命令受領、小隊の命令下達等が終わると、23時をまわっていました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
米海兵隊の市街地戦の訓練に参加した時のことです。兵士たちは出撃になると、全員で「ウーラー!」と雄叫びを上げて士気を高めます。現地では兵士が建物へ入り、部屋を一つずつ掃討していきます。その度に小さなケミカルを入口に置き、「ダビドォ!」と声をかけます。なんだろうと思い、後で、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
2 years
晩年、失意の牟田口が心のよりどころにした、とされるアーサー・バーカー元英陸軍中佐の手紙(写真は抜粋)です。全ての書簡を拝見しました。翻訳は軍事専門家のものではありませんが、大概は巷間伝えられている通り、牟田口の作戦能力を高く評価しています。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
ガダルカナル。この写真の反対は海です。日本軍は、ここから「転進」しました。将兵の中には前方の山を越えられず残された人もいました。そこで亡くなられた方に現地の方は今でも花を手向け祈りを捧げています。その一人は母を日本兵に殺された方でした。それでも笑顔で私たちを出迎えてくれました…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
5 years
ガ島から生還した下士官に聞いた話です。夜、ジャングルを歩く時、帽子の後に燐を塗るそうです。ほのかに光って前を歩く兵士とはぐれないためです。真っ暗闇の中、静かに歩く日本兵たち。その方は今でもたまに眠っていると、その光が目の前に現れ、汗びっしょりになって目を覚ますことがあるそうです。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
記憶だけではありません、失いつつあるものは。ガダルカナル。敵の攻撃を受ける中、自らの危険を省みず、なんとか武器・弾薬、補給品等を日本軍へ届けようと海岸に乗り上げた「鬼怒川丸」。経年変化と地球温暖化の流れを受け、その姿を変えつつあります。朽ち果てるのも時間の問題かもしれません…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
父から聞いた話です。海兵生徒だった父は、勇敢に戦死された先輩の死にざまを聞き、来る日も来る日も「立派に死ねるか」「恥ずかしい死に方だけはしたくない」と、そればかり考えていたそうです。後に精神的に追い詰められていた、と語っていました。それが終戦と知るや脱力状態となり…(続く)
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関口高史 元防衛大学校准教授
2 years
近日発売です! よろしくお願いします。 『牟田口廉也とインパール作戦-日本陸軍「無責任の総和」を問う』(光文社新書、7月13日、360頁、1,188円(税込))。本当に多くの方からのご支援を賜り、執筆したものです。皆様に心より感謝です! Amazon
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
ここ数年、一木慰霊祭に参加しています。ある時、初老の男性から「叔父もガダルカナル島で戦死したんです。なんでもガス攻撃にあったとき、最初にマスクを外す人だったみたいです」と言われました。私は「叔父様は指揮官に最も信頼された兵隊だったんですよ」と答えました。すると、男性は、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
80年前の今日、昭和天皇から軍令部総長に「矢は弓を放れんとしておるが、一旦矢が離れると長期の戦争となるのだが、予定のとおりやるかね」と御下問がありました。とても優しいお言葉だったそうです。この時でも非戦の望みを捨てず長期戦になると予想されていました。約一週間後に日米が開戦しました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
拙著の究極の目的は、主戦論者の視点から見た日米開戦経緯を通じ、「二度と戦争を起こさないための教訓を得る」というものです。よって考察は軍事領域に軸足を置きました。そして18歳に引き下げられた主権者が安全保障についても責任を持つ、それを自覚するのに役立つ本を、という思いで執筆しました!
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
毎年、この時期になると思い出されるのが中央記念式典の観閲式です。私の学生時代は毎年ありました。防大生と防衛医大生、似ていますが全く待遇が違うことが二つありました。一つは移動のバスです。防大は横須賀から路線バスに乗って朝霞へ。参加する最下級学年の2年生で座席に座ろうものなら、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
初級幹部の時、妙高高原にある関山演習場というところで冬季訓練に参加しました。雪洞をつくり雪の中で何日も過すのです。その中で印象に残ったことを紹介しましす。まず、雪中機動(行進)です。写真のように大型雪上車に引かれて機動することをジョーリングと言いました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
一木支隊奮戦之地 米軍の手に陥ちた飛行場を奪回しようと前進してきた一木支隊と、それを守る海兵師団の戦闘が行われた地域です。そばにイル川がありアリゲータークリークと呼ばれていました。右は支隊が全滅したとされる時間に撮影した同付近の写真です。遠くに米軍が布陣した森林の前縁が見えます。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
戦史研究では史資料を基に状況の特質や戦闘様相を理解して現地へ行くことと、戦術的視眼(戦術の知識と経験による相場観)で地形をよく分析すること。それらが説得力をもつ成果につながると思います。いつも努力していますが、とても難しいです。一木支隊が全滅した当時と現在の様子がわかる写真です。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
一木支隊奮戦之地で起きた話です。暗闇の中、テレビ局クルーと日出を待っていました。すると銃撃戦らしき射撃音が聞こえてくるのです。現地の方にきくと「警察の施設があるがもっと遠くだ」と答えます。そこで音響の方に録音を頼み聞いてみました。やはり私には銃撃戦の音にしか聞こえませんでした…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
意外と思われるかもしれませんが、日本も滞在が困難と判断され、多くの国から自国民保護の対象になったことがあります。東日本大震災の時です。当時は献身的に職務を全うされる多くの方々の努力で大きな混乱もなく、外国人は出国できました。他国では、これをもって、また日本を高く評価する 続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
牟田口中将直筆の「インパール作戦」の前言、最初の頁です。小説などでは全く反省していないと言われた中将ですが、果たしてそう言いきれるでしょうか。ましてや個人の内面の感情など外から推し量ることはできません。もちろん逆も然りです。ただ私はこの文を最初に見たとき大変ショックを受けました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
幹部候補生学校で付教官をしていた時の話です。午前二時頃、寂しい坂道を行進していると、ある候補生が突然、「今、教官と話をしていたお婆さんは誰ですか?」ときくのです。(何を言ってるんだ!? 寝惚けているのかな)と思い、「誰とも話していないし、誰もいないよ!」と答えました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
戦術を知らないと、とんでもない勘違いをすることがあります。まず防御を得意とする軍隊は存在します。ソ連軍の複郭陣地、仏軍ペタン元帥のヴェルダン戦などは、その一例です。また防御だけでも戦いが終結する場合があります。防御は敵の戦闘力を減殺し、「戦意」を破砕することに目的があるからです。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
執念がうかがえました。鬼神も之を避く、の気魄です。当時、研究員の多くは戦争を体験していました。戦友、部下を失くした方もいました。その気持ちを考えると、自分も教範作成に携わった経験があるだけに「まだまだ足りない」と身が引き締まる思いです。史料に向かう時は、これを自戒としています。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
Twitterを始めたころ、自称研究家から言われたこと。お前が本を出さなければ、俺がもっと良い本を出せた、でした。大変ショックでした。それでも研究は面白いです。これからも、いろいろ研究成果を発表していきたいと思います!
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
「フライトは快適でしたか?」、すると隣にいた男性が「彼(私)のお陰で快適だったよ!」と。ビックリした私は「あなたは大将ですか?」と尋ねると、「may be(たぶんね)」と答えるのです。その後、息子と思っていた副官に合図をすると、彼は名刺と一緒に、写真と同じメダルをくれたのです。続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
先日、シベリア抑留者の方にお話を聴く機会がありました。抑留の話もショックでしたが、まだ中国戦線で戦われていた頃、橋梁守備を命じられた、その方は、ある将校が橋を渡る際、「俺たちで最後だ」と言われ、自分たちも渡ろうとすると、「お前たちは我々が逃げる暇をつくるため、ここで 続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
澄んだ目の隊員…。 忘れられない隊員がいます。バブル絶頂期のことです。その隊員は「裸の大将」のように、外出時はいつもリュックを背負っていました。リュックには荷札が付いていて「僕はI1士です。迷子になっている時は、陸上自衛隊○○駐屯地に連絡してください。連絡先は…」と、続く…
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
軍人に限らず人物評価は難しいです。指揮官、参謀としての評価と家族の知る顔が全く違うこともあります。では家族の証言を無視してよいのか。私は意外な人物像を知り評価を修正することもありました。ただ、過度にのめり込むと不公平になってしまうので注意が必要です。写真の中に有名な軍人がいます。
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関口高史 元防衛大学校准教授
7 years
昭和十七年、ガダルカナル戦で最初に投入され、全滅した一木支隊に関する本を発売しています。ご注文は、全国の有名書店、アマゾン等まで、お願いします。
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
自己完結型の組織である自衛隊。初級幹部の頃、古参陸曹に言われたのが、「隊員が考えているのは、メシ、フロ、代休、特昇、昇任、弾、酒、油です!」という言葉。なんでも優先順位になっているとのこと。このうち特昇は、特別昇給、また油はいろいろな燃料のことです。何となくゴロも良いんですよね。
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
全く違うものですが、陸軍の名残を陸上自衛隊に見出すことができます。例えば駐屯地。今も昔も同じところに所在する駐屯地があります。ちなみに三重(久居)の部隊は三が重なるから陸軍でも陸自でも33連隊だとか。それに諸動作や用語。他にも「兵科」と職種。職種の色も、ほぼ踏襲されています。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
幹部候補生学校で付教官をしている時です。ある候補生に「小部隊指揮官で重要なのは何か?」と尋ねました。その候補生は「初期消火です!」と真面目に答えるのです。私はしばらくポカンとした後、気付きました。どうやら彼は「消防隊指揮官」と聞き間違えたと。自衛隊用語って難しいな、と思いました。
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
その時、階級を言わなかったので、下士官かな、と思っていました。飛行機に乗ると、エコノミーで席も近く、息子さんが「彼と一緒にお話していきませんか。彼が話したがっています」と言ったので、席を代わりました。その後は成田まで、いろいろな話をしました。特に印象に残っているのは、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
「自衛隊の将軍は忙しいの? 普段は何をしてるの?」という質問でした。飛行機が成田に着き、3人で入国審査へ行こうとすると、途中で中将の階級章をつけた軍人が誰かを待っています。そこを通り過ぎようとすると、中将は満面の笑みで敬礼します。続く…
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
皆様、いつも、つたないツイートにお付き合いいただき、ありがとうございます。少し休憩させていただきます。いつも批判してくる「3人」を相手にするのに疲れました。私のせいで研究成果や協力した番組などが批判されるのは不本意です。しばらくツイートをお休みします。ありがとうございます。
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@parsifa18401874
関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
戦争の階層について、つらつらと考えてみました。軍事領域が準拠すべきものから「戦略」「作戦」「戦術」の階層レベルの関係を表現してみました。これは特定の国を想定したものではなく、一つのイメージです。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
それは今だったらサイバー、宇宙、電磁波などの戦いではないでしょうか。彼は、その他にも戦争の変革サイクルが短くなることや、指揮単位が「連→中→小→分隊、そして個人」になると予測しました。これらは現代の軍事研究にも当てはまることです。石原が90年以上前に語っていたことに衝撃を受けます。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
大変ショックです。ガダルカナル島へ「勝手に日本がやってきて戦闘して、勝手に飢餓になったんであり」…。戦史研究をされていると名乗る方からこのような発言をされた英霊は、もはや彼には何も語らないでしょう…。現代に生きる我々が過去のあやまちを馬鹿にするのは愚か者の行為としか言えません。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
ちなみに、私は米陸軍空挺部隊の将校から「これは空挺の神様だから安心、君を守ってくれるよ!」と言われ、聖ミシェルのペンダントをいただきました。その後、最初の降下で骨折しました…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
使命観の涵養の話です。 雪国で勤務した時のことです。雪国は初めてだったので外套を羽織り、膝近くまであるゴム長を履いて雪の街を歩くと、気分は正に「動乱」です。知らない方に「自衛隊さん!部隊に帰るなら乗っていきなよ」と言われ、車で送ってもらうこともありました。そんな、ある日、続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
2 years
7月3日インパール作戦中止が河邊ビルマ方面軍司令官に命じられました。日本の敗色が一段と濃くなった日です。写真は必勝を信じてチンドウィン河東岸で作戦準備を行う兵隊です。ほとんどの方は二度と祖国の地を踏むことはできませんでした。悲劇を繰り返さないためにも作戦発動経緯の究明が望まれます
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
アリゲータークリーク。 右が、一木支隊長が射撃を受けた際、攻撃方向に選んだ砂洲です。突撃目標は森林の敵陣地、翼側からの攻撃を企図しました。しかし前には障害と連携した火力(砲迫や機関銃など)が待ち構えており、異次元の火力が支隊に集中したとされます。戦死者777名の記録も残されています。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
米陸軍や海兵隊に隊付した際、コインをもらう場合があります。彼らは「俺たちは永遠の仲間だ。これは、そのシンボルだ!世界中どこで再会しても、これを持っていればビールをおごる。しかし万が一、持っていなければホール全員のビールをおごれ!」と誓わせて渡すのです。私は必ず持つようにしています
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
防衛庁…。懐かしい響きです。若い方はもしかすると、その言葉すら知らないのでは…。市ヶ谷に防衛省が移転する前、「桧町」というところに防衛庁がありました。今は六本木ミッドタウンと呼ばれているところです。私の最初の陸幕勤務は臨時勤務(1尉)でした。仕事の内容は言えませんが、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
11 months
ソロモン諸島(ガダルカナルなど)は緊要な島国です。 民間研究機関の講演で使用した要図(ドラフト)です。 ・ 日本のシーレーン ・ 米豪のアジアへの進出路 ・ 米国の南太平洋の西進路 ・ 米豪の連絡路 それぞれの要衝にあるのがソロモン諸島です。時代が変わっても地政学的価値は変わりません。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
研究射撃なるものがありました。米海兵隊の戦闘射撃教官課程でのことです。ある日、射場へ行くと、教官(下士官)が大きな木の弾薬箱をかかえ、「今日は研究射撃だ。これを一日で好きなように撃て」と言い、弾薬箱を足元に置いていきました。見ると、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
全くの私見ですが…。研究に限らず、何かを調べて発表する。そして他人からご理解をいただくためには「良い史料」「正しい知識」「そして善の心(考え方)」が必要だと思います。この三つは自分が大切にしているもののうち、軽いものから挙げさせていただきました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
【続きです…】 先のツイートを多くの方にご覧になっていただき、光栄です。全てのリプライ等を拝読しています。 発見された軍刀に巻いてある紙には「牟タ口」の文字が読めます。状態は必ずしも良いとは言えませんが、歴史的価値が感じられます。全長は73.2cm、反りは2.2cm、江戸時代に造られました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
メッケル少佐は「戦場では、いかに時代が変わっても変わらないものがある。それは地形だ」とお話しました。わざわざ「地形」と言ったのは、表面的な変化に惑わされず、戦術に応用できる地形のことを分析しなさい、という意味です。なので、戦時中と様子が違う、というのは地形を見れていない証左です。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
軍隊には階級(章)があります。その理由はいろいろとありますが、一つは指揮官が戦死した時、次に誰が指揮を執るのかを明確にするため、と言われています。よって任務遂行のため、階級の高い人には、高い識能とモラルが求められます。ただ米海兵隊などでは、指揮階梯のフラット化が進み、続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
盧溝橋事件の翌年、一木少佐(当時)は郷土の小学校に招かれ講演を行いました。左の写真は講演当日の朝、ご実家で撮影されたものです。数年前までは一木少佐の講演を聞き、「キラキラしたサーベルに憧れた」と語る方ともお会いすることもできました。しかし今はほとんどの方が鬼籍に入られました…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
防衛研究所にある牟田口中将執筆の「インパール作戦回想録」は『其一、其二』で1958年のもの。一方、その2年前に書かれた「インパール作戦回想録」は其一、其二に加え、『其三』もあります。オリジナルを拝見すると、何度も書き直され中将の思いが伝わってきます。拙著の執筆過程で発見されたものです
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
初級幹部の頃、陸上自衛隊青森駐屯地へ行く機会がありました。何の気なしに防衛館へ行き、展示物を見ていました。「八甲田山、大変だったんだなぁ」と感心していると、なんと、そこに曾祖父の写真が…。慌てて近くにいた陸曹に「これ、私の曾祖父です!」と言うと、私の顔を見て、続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
牟田口中将の勲記です。勲一等瑞宝章(昭和17年12月)。勲記には「宮城」において…と記述されています。叙勲は第18師団長としてのシンガポール陥落、ビルマ進攻での功績が高く評価されたからではないでしょうか。先日、発見された軍刀と一緒に保管されていました。これも本邦初公開と思われます。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
単眼鏡は写真のようなものでした。暗い演習場でそれを付けて降下しました。すると片目しか効かず、高度感覚が全くつかめないことに気づきました。下を見ていると、いきなり地面が近づき、「ドン」という音と目から火花が出るほどの痛み。着地姿勢もとれずに着地し、単眼鏡が目の周りに当たったのです。
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4 years
米軍に隊付した時、下士官の役割と権限について考えたことです。米軍では将校と下士官の役割・権限が大きく異なるような気がしました。将校はフォース・ユーザー(部隊を運用する人)で下士官はフォース・プロバイダー(下士官、兵、時には将校を練成する人)でした。下士官には役割に加え、続く…
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4 years
次の日の朝、降下したほとんどの隊員は目の周りにあざができていました。今でも、その時の焦りや痛みが思い出されます。ありきたりの話ですみません。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
忘れもしない出来事があります。東日本大震災の発生直後、私も部隊とは別の立場で被災地に入りました。ある日、海岸付近の小学校で被災状況を単独で確認していると、誰かがサッカーボールを壁に向かって蹴っている音が聞こえてきました。「何て不謹慎な」と思い、続く…
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3 years
B-29を見た、という90歳のお爺さん。お爺さんといっても、とても若々しいです。お爺さんのB-29体験は下町に住んでいる時、日本軍の火砲や飛行機は全く歯が立たなかった、というものから始まりました。途中で弾が破裂したり、飛行機が撃墜されたり。夜だけだったのが昼も夜も関係なく飛んできた、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
まだまだ先の話ですが。防衛大学校の卒業式では「帽子投げ」というものがあります。式典が終わり、「卒業生退場」のアナウンスが流れると、代表が「別れ!」という号令をかけます。すると同時に卒業生は力一杯、制帽を頭上に投げ、一目散に式場を後にします。なぜ制帽を投げるのでしょうか? 続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
一木支隊がほぼ全滅した時刻に撮影されたイル川付近の台地。奥に見える森林前縁には米海兵隊の陣地、その直前にはイル川、森林の向こうにはルンガ飛行場(のちのヘンダーソン飛行場)がありました。現地へ行くと、支隊の戦闘様相が浮かんできます。この地も中国の企業に買収された、と聞かされました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
3 years
空挺教育隊の研究科運用班長をしていた頃の話です。ある日、倉庫で資料を探していると、第1空挺団の創設経緯について書かれた資料を見つけました。それによると空挺団が創設されたのは、米軍の顧問団から「自衛隊を強くするためには、目標とする最強部隊が必要だ。続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
昭和十二年七月七日の夜、盧溝橋事件が発生しました。一木支隊長も大隊長として戦いに参加し、手に銃創を負いました。それから一年後、盧溝橋事件の英雄として故郷の小・中学校で講演をされました。娘さんは「この時が、父の最後の帰郷ではなかったでしょうか」とお話されています。写真は、続く…
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5 years
米国で公文書館や博物館・美術館などに並んでいると、「元制服の方はいらっしゃいますか?」と声をかけるスタッフをよく見かけます。誰かが「はい!」と答えると、その周りでは拍手が巻き起こり、「いいぞ!」「すごい!」みたいな掛け声も飛んできます。そうすると、スタッフに連れられて…、続く
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4 years
ささいな昔話です。演習場で天幕(テント)野営をしたときのことです。その日は一つの天幕に8人で寝ました。天気は良いのに風の音が大きく響く、不気味な夜でした。夜も更けた頃、「カツン、カツン…」とハンマーの音。どうやら隣の天幕では杭を打ち込んでいる様子です。隣で寝ていた陸曹が、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
ある陸将の米国出張にカバン持ちとして随行した時のことです。明日は朝食懇談という日の前夜。時差ぼけに悩んでいた陸将が寝る前…。 陸将「関口、よく眠れないんだよなぁ」 関口「私もです(←本当は毎夜ぐっすり寝ています)。あっ良いものがあります!」と言って市販の睡眠導入剤を渡して、続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
【閑話休題】パリ郊外の森の中、一人でハクチョウに餌をやる牟田口廉也中佐(当時)。 彼は陸軍省軍務局で勤務する傍ら最新の欧州の軍事情勢を視察するため、仏国などに半年ほど滞在していました。鮮明でないのは惜しいですが、プライベート写真で、もちろん本邦初公開です。
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3 years
ガ島戦一木支隊の戦いのことです。米海兵隊は将校斥候群を全滅させると直ちに以下のように分析しました。装備が充実。上陸後、間もない陸軍部隊。階級構成が高いことから重要な任務を与えられていた…などです。そして日本軍の攻撃方向を的確に判断しました。当時の資料です。貴重なものだと思います。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
一般論ですが、海外の戦場特定は慎重にやらなくてはなりません。現地へ行く前、生還者の証言や史料を調査するのはもちろん、現地へ行っては地形を十分に確認し、戦術的妥当性からも検証を行います。さらに言うと、現地のいい伝えなども聞き、やっと「推定」できる感じです。例えば一木支隊は、続く…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
11 months
シンガポール陥落直後、戦闘指揮所で休憩する第18師団長牟田口廉也中将です。拙著を執筆する際、中将のご自宅で発見したプライベート写真です。「常勝将軍」と呼ばれシンガポールでも第一線で活躍した中将ですが、さすがにやや疲れているように見受けられます。大変貴重なものと思われます…。
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関口高史 元防衛大学校准教授
11 months
数年前のガダルカナル。海岸の近くに棄てられた水陸両用車。過ぎ去った年月を感じさせられます。近くには教会もありました。木蔭で当時のことに思いを馳せ、昼食をとりました。
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
迷信。一木支隊の沈黙の帰還も有名な話ですが、部隊勤務をしていると、いろんな迷信を聞くことがあります。ある駐屯地では営庭の真ん中に林があり、「中央の森」と呼ばれていました。なんでも、それを切ろうとすると災いが起きるとか。そこには馬小屋もあり、騎兵将校の姿を見た隊員もいたとか。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
4 years
今では珍しくない水上での空挺降下。 私がまだ空挺教育隊の研究科運用班長をしている時は、「研究降下」とされていました。  水上降下の際は、海岸のある鋸南町の皆様方に大変お世話になりました。  降下当日は夏の熱い日になりました。二番機トップ降下者を命じられ飛行機に乗りこみました。続く…
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
何もする気が起きなくなったそうです。しかし、たまたま校庭の隅に一輪の花が咲いていたことに気づいたのです。今まで一度も意識したこともないのに。その花の姿を見て、「自分も生きなくては」と生きる気力がわいてきたそうです。78回目の終戦を迎えました。また平和の尊さを考える一日になります。
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関口高史 元防衛大学校准教授
1 year
ガダルカナル島で鹵獲された日本軍の地図(米公文書館所蔵)に一木支隊の行軍経路等を載せました。日本軍はこのような地図と磁石をたよりに森林内を前進したと思われます。地図には英語と日本語が記載されています。英海軍の海図から地図を作成したという証言もあり、これもその一枚かもしれません。
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