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近内悠太

@YutaChikauchi

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1冊目『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(第29回山本七平賞 奨励賞 )。2冊目が出ます!『利他・ケア・傷の倫理学ーー「私」を生き直すための哲学』(晶文社)

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@YutaChikauchi
近内悠太
8 months
1冊目は「受け取るとはどういうことか」を論じたので、2冊目は「与えること」について書きました。 ケアとは「その人が大切にしているものを共に大切にすること」と言えるのではないか。では利他は? ぜひ本書を読んでみてください。 近内悠太『利他・ケア・傷の倫理学』
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 years
人にちょっと小難しいことを言ったときに「哲学的ですねぇ」と言われたら、「それは文学的というのと、宗教的というのとどう違うのですか?」と言い返すのがマナーだと思っている。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 years
本が出ます。 「人とのつながり」を論じた本です。 大切なつながりと出会い直すための本です。 世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
目の前の相手に、興味と関心を向けながらも、ただし呪いをかけない、ということができたならば、それはもうすでに「祝福」になっているんじゃないか。とは言ってもこれが相当難しい。気になる相手にはついつい余計な言葉をかけ、「私はあなたを心配しています」という過剰なメッセージを送ってしまう。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
岸田奈美さんとの対談の中で、ふと思いついて「プレゼントを貰って、値段が気になったり、いくらなのか調べたくなったとしたら、それは贈与ではない」と言ったのですが、けっこう正しい指摘だったなとふと思い出した。
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@YutaChikauchi
近内悠太
7 months
『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』が本日発売となりました!Kindle版も。東浩紀さんからいただいた帯文に背中を押してもらえました。 利他とは自己犠牲ではなく、自己変容に至る道である。その理路を辿っていただけたら、と思います。 受け取ったから今度は与える、ケアとして。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
僕らに必要なのは自己啓発書ではなくて、 『苦渋の味わい方、辛酸の正しい嘗め方』 みたいな話じゃないだろうか。 しかも、それを暗いトーンでもなく、無駄にポップでもなく、ただまっすぐに書かれた本。 光の目指し方enlightenmentではなく、影との付き合い方。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
いわゆる意識高い系が揶揄されるのは、彼らが饒舌だからだろう。意識が高いことそれ自体は、いいことに決まってる。しかし、その「目」に「手」を近づけることが必要となる。目は手を先行する。その二つの間の距離が開いてしまったと悟ったとき、僕らは沈黙する。語れなくなる時が正しく訪れる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
大切なものは目に見えない、というのは、その大切なものが何かと何かの「関係性」だからだ。AとBは目に見えたとしても「AとBの関係性」は目に見えない。それはちょうど、星は見えるが星座は見えないのと同じだ。夜空には星と星を結ぶ線は存在しない。星を結ぼうとする意志がなければ星座は存在しない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
これは本当にそう思う。オードリー・タンが引用する詩がとてもよい。 「There is a crack in everything, that’s how the lights get in.」 あまりにも美しい、この世界の真実。
@shu_yamaguchi
山口周
4 years
今の日本に必要なのはAI人材でもグローバル人材でもなく、詩人だと思います。役に立つ人より意味を作れる人。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
親の呪いは祓うのではなく、「供養」しなければならないものだと、友人と話しているときに思った。その供養とは親を「毒親」と形容することではない。供養は、親を「正しく恨む」ことから始まる。それは親と、そして自分と向き合わなければ始まらない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
良い文章というのは、無防備な文章のことだと思う。それは、書いた人が、まさに書くという行為によって無防備になってしまうような文章です。それゆえ、うまく書こうとすればするほど、無防備からは遠ざかります。きっとそこには、不用意な言葉たちが並ぶはずです。無防備と不用意は違います。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
逆説的だが、言葉が「しっくりこない」とき、僕らは心を取り戻す。言葉がしっくりこないとき、その言葉では捉えられていないと感じる「何か」が私の中にあることを知る。それがおそらく心なのだ。言葉と乖離するものが心なのだ。
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@YutaChikauchi
近内悠太
10 months
そうね、たしかに、価値判断抜きで話を最後まで聴いてくれる人ってあんまりいないかもね。ひとが「自分の物語」を語り出そうとしているときに、その邪魔をしてはならない。いまその人は、セルフケアを為そうとしているのだから。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
人に何かを告白するとき、勇気が要る、という。しかし、告白するときには本来は勇気など必要ない。勇気がいると感じるのは、それはまだ告白する時ではないのだ。準備ができれば、そして、それを告げるべき相手だと悟ることができれば、言葉はおのずから形になる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
呪いを解くには「トリガー」が要ります。そのトリガーは、私の外から到来します。つまり、トリガーとの邂逅がなければ呪いは解かれません。その意味では、呪いに対して「セルフケア」はできません。自身にかけられた呪いは、「誰かと一緒に」解いてもらう必要があります。
@namikishida
岸田奈美|Nami Kishida
4 years
近内悠太さんとリモート雑談してメチャ楽しかった ・僕らは「親よりも大切な人」を見つけ、愛するために生きている。 ・それは親への裏切りではなく、むしろ、親への感謝ともいえる。 ・言葉は祝いにも呪いにもなるので、自分で呪いを解除する方法をできるだけ多く知っておいた方がいい。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 years
『世界は贈与でできている』が期間限定ですが、全文公開されます。 また同じNewspicksパブリッシングから刊行された佐々木康裕さんの『D2C』、今日発売の石川善樹さんの『フルライフ』も公開されます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
重版となりました。 この本が、「贈与」という概念を知る最初の1冊になったとしたら、うれしいです。あるいは、読んでくれた人が「贈与」と出会い直す、そんな本になれたら、と思います。 新オビになりました。 推薦文をくださった茂木健一郎さん、糸井重里さん、山口周さん、ありがとうございます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
『世界は贈与でできている』が第29回山本七平賞《奨励賞》を受賞しました。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
教養というものが、専門性と対置されるものだとするならば、教養とは「できるだけ余計なことを考える」ためのもの、といえる。ある主張や立場を取ろうとしたとき、教養が僕らにためらいを与えてくれる。ある立場からはこう見える、しかしあの立場からするとそれは異なって見える。ためらいが生まれる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
決断の半分は断念でできている。何かを決断するということは、その決断した内容以外の「可能性」を手放し、諦めることを含む。だから、決断には勇気が要る。そして、可能性は決断した後に「最初からそこにあった」ことになる。決断によって世界の可能性が露出する。したがって、決断とは事件である。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
自己肯定感と自己評価は、別の軸のような気がする。そして分析すると面白そうなのが、「自己肯定感は高いけど自己評価は低い人」と「自己肯定感は低いけど自己評価は高い人」です。前者はおそらく努力を続けられる人(努力を止めることがそもそもできない人)で、後者はルサンチマンの足音がする。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
傾聴やエンパシーやケアといったものを強引に一言でまとめれば、「その人が大切にしているものを大切にする」という態度だと思います。なぜなら人は、自分が大切にしてきたものが何らかの原因により失われたり、傷つけられたときにケアを必要とするからです。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
「いいかい?なぜ僕らが言語で世界を切り出すのかって言うと、沈黙するためなんだ。きちんと沈黙するためにはまずは語らなきゃいけないんだ。うまく語ることができたとき、君は正しく沈黙することができる。だから、語り得ぬものに触れるために語るんだよ。」
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
群馬県の公立高校入試に『世界は贈与でできている』の文章が出題されました。高校生や中学生にも読んでもらえるように、と思いを馳せながら書いた本だったのでとても光栄です。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
成長の様々な「可能性を殺ぐ」という意味では、やはり「呪い」と呼べると思います。子どもの可動域を制限するということなので。自身の呪いに気づく。僕らは「殺された(死んだ)可能性」、「あのとき、確かに生きていた可能性」に気づいたとき、後悔します。
@namikishida
岸田奈美|Nami Kishida
4 years
@YutaChikauchi 母と話してて「子どものために、厳しく育てようとした時もあるけど、後になってから、その子らしさを抑圧してたと気づいて後悔した」って話を聞いて、後からもらってたことに気づく「贈与」の真逆で、奪ってたことに気づくこともあるんだと驚いたんですが、これに名前ってありますか?
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
社会はあなたを「聞き分けのいい子」にしようとあの手この手を尽くしてくる。子どもの頃は教育システムが、大人になったらビジネスが、あなたをいい子にしようと躍起になって襲いかかる。甘く美しい言葉を囁きながら。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
他者に「頼る」のはもちろんとして、他者に「甘える」ことを肯定する主義主張を立ち上げてみたい。だって、人間は根源的にいじらしいのだから。いじらしさを認めなかったり、いじらしさを愛せないことから多くの問題が発生している。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
利他は相手を変えようとすることではない。相手を変えようとすることはケアではないからだ。ケアの要諦は「あなたは間違っていない」というメッセージを送ることにある。老いたことも、病と共にあることも、内なる矛盾を抱えていることも、それ自体は何ら間違っていない、と示すこと。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
これがなぜ呪いなのかというと、「私はあなたを心配しています」には、「あなたの現在の行動は間違っている(と私は判断しています)」というメッセージが含意されるからです。意図的に祝福することはできないが、意図的に呪いをかけないことはできる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
7 months
おかげさまで、早くも重版が決まりました! 発売から1日での重版決定ということで、手に取ってくださったみなさま、本当にありがとうございます。 利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学 (犀の教室 Liberal Arts Lab)
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
何かをもらったり、何かをしてもらったり、助けられてしまったり。 でも、お礼を言うと嘘っぽくなる。何かが台無しになる。大切な相手であれば、なおさらお礼がうまく言えなくなる。 だから、そのとき、僕らは一生懸命生きようと思う。せめて、そのもらったものに見合う人間になるために、と。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
第29回「山本七平賞」最終候補作の3冊の中に『世界は贈与でできている』を選んでいただきました。 読んでくださった皆さまにご報告できてうれしいです。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
サードプレイスというのは「どこにも行き場所が無くなってしまったとき、ふと立ち寄れる場所」のことを言うのだろう。だから、必ずしもサードプレイスはキラキラした場所である必要はない。そうではなく、雨宿りのできる場所、一時的だとしても私を守ってくれる場所のことだと思う。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 months
反省はするけど、後悔はしない。そんな生き方ができたとすれば、それは過去に執着するのではなく、ちゃんと過去を受け止めながら、今とこれからを生きようとしている姿ではないだろうか。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
自分の影を「ダークサイド」と呼んでもいいけど、それは別に悪を意味しない。それが悪かどうか決めるのは社会であって、いわゆる克己というのは、自分の中にある「社会」を倒すことをいう。本当の外にある社会を倒すのではなく、内面化してしまった社会を倒す。もちろんそれは大変なんですけどね。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
「考える」と「悩む」は異なる。考えるというのは考えた結果、当初立っていた場所とは違う場所へ至ることをいう。考えることができれば、さっきまでとは違う風景の場所に出る。なぜなら、あなたは「理路」を通り抜けたから。それに対し、「悩む」とは固結びのひもをさらに強く引っ張ることに似ている。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
利他の個別的なエピソードが広く拡散されると美談になってしまう。そして、その行為が規範性を獲得する。つまり「べき」という性質を帯び始める。この現象の何がよろしくないかというと、従わない人への非難が正当化されてしまう点である。あるいは従わない人自身が後ろめたさや罪悪感を持ってしまう。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
voicyにてチャンネルを作りました! うまく、ちゃんと、お話しできるように少しずつ頑張ります。 初回配信です。 ♯1 僕らの脳はズレている - 近内悠太 #Voicy
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
贈与や利他は、「私」を映す鏡となる。利他と見せかけた利己的振る舞い、贈与と見せかけた交換(「あなたのためなのよ?」という言葉を携えて)は呪いとなってしまう。 だからこそ、自分の中に利他の自意識が生じてしまったときは、戦略的に可愛げ、ユーモア、爽やかさをまとわせる必要があります。
@taichinakaj
プロ奢ラレヤー🍣
4 years
「精神がダメになっている人を救いたい」と思ったときは、その人自身の精神がダメになっている可能性がとても高い。健康な人は、しらないうちに他人を救っている事はあっても、「救いたい」とはならない。他人を救おうとするのは、自分が救われていないからで、自分を救えていない人に他人は救えない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
僕らの中にある「他人から馬鹿にされたくない」という欲望を侮ってはならない。自分の中では「これは大義(人の役に立ちたい、美しいものを生み出したいなど)があるんだ」と思っていても、突き詰めて考えてみたら、ただ人から馬鹿にされるのを恐れているだけだった、ということもあり得る。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
頭がいいと(というか、勉強すると)なんで良いかって言うとさ、楽しく生きていくための金がかからないからなんだな。 天文学の知識があれば、夜空観てるだけで楽しいし、歴史とか地理の知識があれば、家の近所を歩き回るだけで楽しい(例:ブラタモリ)。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
「自分の中にぽっかりと空いた穴を、自分で埋めることはできない。この穴は、他者だけが埋めることができる。」 「他者の穴を埋める行為、すなわち他者貢献は、取引ではなく贈与でなければならない。」 その通りだとぼくも思います。
@fta7
F太🐈‍⬛
4 years
・「取引」と「贈与」の違い。贈与のふりをした取引がいちばん怖い。 ・贈与は軽やかになされるべきであり、苦しいなら贈与ではない。 ・自分一人で背負わない。自分を一人に背負わせない。 という話を書きました。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 months
おかげさまで、4刷になりました。 手に取ってくださったみなさま、広めてくださったみなさま、ありがとうございます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
その人のことを考える。 それが一番シンプルな贈与ではないでしょうか。なぜなら、そのとき、あなたはその人に「時間」を贈与しているから。時間の蕩尽。機会費用の贈与。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
アピールには呪いの成分を脱色する技法が欠けてますよね。最近、利他って天ぷら揚げるようなものだよなって思ってます。こちらのタイミングで無理矢理、油から取り出すことはできなくて、揚がってる音とか色とか見逃さず(相手をよく観察して)に、揚げ時を逃さない、揚げ時を「待つ」というような。
@fta7
F太🐈‍⬛
3 years
ほんとこれ。 「私はあなたを気にかけています」アピールは余計なコミュニケーション。それは他者貢献や贈与ではなく、単なる承認欲求、取引だと思ってる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
贈与の差出人になりたかったら、受取人が現れるのを待てばいい。その受取人があなたを贈与の差出人に変えてくれる。だから、僕らは受取人になるトレーニングを積む必要がある。あなたに関わるその人を、贈与の差出人に変貌させるために。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
値段を気にするのは、「それ相応のものを(可及的速やかに)返さなきゃ」と感じた場合か、自分に対する相手の想いを金銭的指標で測ろうとしているかのいずれかでしょう。前者も後者も「交換」的な振る舞いとなります(だからダメ、ってわけじゃないですが)。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
受け取ること、与えること、手放すこと(失うこと、諦めること)の贈与3部作を書きたいと思っている。思っている。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 months
養老孟司さんとお話しできました。 僕にとって大切な対談になりました。 【公式】養老孟司 脳化社会における影響 @YouTube より
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
人から本を勧められたとする。しかもその本は、その人の「人生の1冊」「私の人生を作った1冊」だという。人は名刺代わりに他者に本を勧める。だから僕らはその人のことをもっと知りたいと思ったとき、勧められた本を読む。贈与とは、その人に「勧めてくれた本、読んだよ」と伝えないことだ。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
自己責任の領域の拡大と自己肯定感の低下は、トレードオフなんじゃないか。自己の振る舞いの全責任が一個人に押し付けられたら、そりゃ自己肯定感なんて低くなるだろう。人間はたいてい失敗するんだから。結局 「自由」概念を脱構築しなければならない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
「自分の頭で考えろ」というのは、めちゃくちゃ難しい。なぜなら、「今は自分の頭で考えて判断すべきではない(師の意見に従うべきだ)���という判断(判断に関する判断、メタ判断)すら思考の対象となるからです。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
エンパシーは職人芸のようなものです。簡単に身につくものではありません。たとえば、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』には、エンパシーの無い人たちがたくさん出てきます。エンパシーは何かをする能力とよりは、安易な判断と類型に当てはめを「行わない」という、ネガティブケイパビリティです。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
例えば大切にしてる時計。それは目に見える。しかし、その時計が「祖父が遺したもの」という、時計と祖父と私の関係性は目に見えない。では、その三者を結ぶ星座は何によって立ち現れるかというとその時計をめぐる「物語」においてである。そして、その物語は他者から問われ、応答するときに語られる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
もし、ビジネスという営みが、速やかな意思決定をよしとするものだとするならば、ビジネスと教養はとても相性が悪い。なぜなら、先の定義が正しければ、教養が意思決定を邪魔するからだ。余計なことを考えてしまうから。だから僕はビジネスにおける教養ブームは都合の良い話に見える。さよなら2022年。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
「いつか、あなたが、その悲しみを誰かに伝えてしまいたくなったとき、その相手は私であってほしい」 だとしたら、私も準備をしなくはならない。おのずから開かれる言葉に驚かない準備を。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
マニュアル化する社会から遠く離れるために、アートや哲学に注目が集まっていると思うのだけれど、どうもアートと哲学にも対してもマニュアルを求められているように感じる。「哲学者はいかなる観念共同体の市民でもない。そのことが彼を哲学者たらしめている」とウィトゲンシュタインは述べてます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
8 months
3/27(水)発売です! Amazonで予約注文していただけるとありがたいです。 近内悠太『利他・ケア・傷の倫理学ーー「私」を生き直すための哲学』
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
利他において「滅私」が関係しているように思えるが、私心を押さえようとするばするほど、まさに「心を押さえようと意志する私」から離れることができない。だから利他は「忘我」に近い。なぜなら、
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
ケアとは「あなたは間違っている」というメッセージを送らずに、共にいる、ということだと思います。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 years
茂木健一郎さん @kenichiromogi に『世界は贈与でできている』の推薦文を書いていただきました。そこに「肌の温かさと機械の精緻さ」とあります。この相矛盾するものを僕が表現できたのだとしたら、それは茂木さんの下で10年かけて教わったものです。形にできてうれしいです。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
「あなたは間違ってない。悪いのは○○だ」というのはケアの言葉かもしれないが、その○○には人を入れない方がいい。他罰的な言葉は、その人を救わない。一時的な避難所としての方便、くらいに考えておいた方がいい。人はみな愚かなのだから。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
思いがけず利他、うっかり贈与。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
ありがとう、と言わずに、「ありがとうと言われた気がした」と相手が感じるように生きること。もちろん、ごめんなさいも。それが一つの倫理の道ではないでしょうか。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
もちろん、人によって「哲学」の定義(正確には、この語を使用する言語ゲーム)が違うのだけれど、ひとまずウィトゲンシュタイン自身は「哲学者はいかなる観念共同体の市民でもない。まさにそのことが、彼を哲学者たらしめているのだ」(断片、§455)と言ってます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
山本七平賞の贈呈式がありました。このような栄誉ある賞をいただけて望外の喜びです。選考委員の伊藤元重先生、中西輝政先生、長谷川眞理子先生、八木秀次先生、養老孟司先生、祝辞をいただいた茂木健一郎さん、そして山本七平賞事務局のみなさまに感謝申し上げます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
だとするならば、大切なものが織り成す星座は、あなたとわたしの<あいだ>にある。あなたから問われ、私が応答しようとする、その<あいだ>に星座はその姿を顕す。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
「冗談を言う」、「口喧嘩する」というのが、いかに高度なコミュニケーションか。それは互いの信頼が無ければ成立しない。あるいは、嘘をつく、というのも。 会話のトーンというものは、徐々に作られてゆく。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
贈与の簡潔な説明。 贈与は人と人を結びつける。 たとえばパートナーがいて、そのパートナーが昔の恋人からもらったものを今も使い続けていると、あなたが知ってしまったとする。そのときあなたは心穏やかではいられないはずだ。それはなぜかというと、
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@YutaChikauchi
近内悠太
6 months
「言葉に重みがない」とか「言葉が軽い」というのは、その言葉が何かまったく別の利益のための手段になっているときに起こる。 思いが言葉になることの歓び、伝えることそのものの価値、言葉として何かを遺すことそれ自体の目的性。遊びとしての言葉。そこから言葉は自ら重みを持つようになる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
その他者の一挙手一投足には「意味」があり、どれほど(こちらから見て)馬鹿げた振る舞いに見えても、そこにはその他者にとっての「合理性」がきちんと宿っていると信じることです。そのような他者への眼差しを、僕らは愛と呼んでいるんじゃないでしょうか。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
「あなたが自分で考えて、あなた自身が決めなさい」という親の言葉は、一見、子の主体性を尊重している祝福の言葉に見えますが、残念ながらこれは呪いの言葉(=ダブルバインド)です。だって、主体的に自分で考えて決断すればするほど、親の命令に従っていることになるからです。支配になります。
@aikonnor
今野良介|編集者
2 years
あと近内さん @YutaChikauchi が子育ての文脈で話してたこと、まさにこれで2番目に話したことと同じだった笑 いや笑いごとじゃ全然ないんすけども
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
祈りとネガティブ・ケイパビリティ。 「待つ」というのは「何もしない」こととは違います。 いざというときに、瞬時に動けること、居着かないことです。変化を見逃さなかったことをもって、初めて「待っていた」ことになるという遡及的行為かもしれません。
@fta7
F太🐈‍⬛
3 years
心配な相手がいるときって相手が考えていることを知りたくなるけど、真実を知ることより相手の幸福をただ祈りながら待てる人間でありたい、という話を書きました。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
後悔というのは、可能性と規範性が内包されている高度な言語的営みである。 この場合の可能性とは「できたのにも関わらず」という思いのことであり、規範性とは「するべきだった/するべきではなかったにも関わらず」という認識である。したがって、後悔は二重の意味で僕らに「自由」を与えるのだ。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
Amazonの評価数が200件になりました。 レビューについても、ご批判も含めて全部ありがたく読ませていただいてます。感想や書評あるいは先日の♯キナリ読書フェスの読書感想文を読むと、多くの人たちの元へ届けることができたのかな、と感じます。 お読みいただいたみなさま、ありがとうございます。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
昨日の猫町倶楽部オンライン読書会で、参加者の皆さんと話していて思ったのは、贈与は「一度忘れる」ということが必要なのかもしれないということ。手渡されたことを忘れる、手渡したことを忘れる。でもそれは主体的には忘れたことになっていても、いつか必ず回帰する。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
「ドライブ・マイ・カー」 久しぶりに映画館で観た映画でした。 他者に対して、そして自分自身に対して誠実であるとはどういうことかを改めて教えてくれる映画でした。 観た人と一緒に語りたいと思える映画でした。
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@YutaChikauchi
近内悠太
10 months
判断してもらいたいんじゃなくて、その物語が世界で初めて語り出される場に立ち会ってもらいたいのだ。なぜなら、あなたが立ち会ってくれなけばその物語は輪郭すら持ち得ないから。 あなたが立ち会ってこそ、その物語は訥々と語り出される。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
利他をちゃんとやってる人ほど、その人に「とても利他的ですね」って言ったとしたら「別にこれは利他じゃない。利他のつもりでやってるわけじゃない」って答える気がする。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
例えば、感性を磨くために旅行に出かける、と聞くとそこまでして企てたいものなのか、とも思う。本来は偶然に始まるべきものや邂逅から導かれるはずのものに対して、僕らは企てによって臨むようになった。何かを学ぶことは遊びなのか、それとも企てなのか。当初の企てが瓦解しなければ学ぶ意味がない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
贈与について考えていったら、利他とケアの概念につながりました。 そして、アナキズム。 隣町珈琲にて、お話させていただきます。 まずは2月23日(木)19時から。 みなさまご参加いただければと思います。
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@tonarimachicafe
隣町珈琲
2 years
【お知らせ】 #近内悠太 「#ケアと利他、ときどき #アナキズム」第1回 2/23木曜19時開催! @YutaChikauchi 近内悠太さんの連続講座が始まります! 「#ケアを拡げる」をテーマにこれからの社会で生きていく上で必要なケアが持つ力や可能性を探ります!ぜひお越しください!
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
なぜ語学の最初に挨拶を習うのか。それは挨拶が「あなたがここに居ることを私は認識している」といる祝福の印だからだ。だから僕らは誰かに無視されると傷付く。存在を、居るということを承認されなかったから。コミュニケーションは歓待から始まる。挨拶のフレーズを習うのはそういうことなのだろう。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
アフォーダンスというのは本当に大事な概念だと思う。自分には主体性、自由意志があるという信念は一体どこからやってくるのか。僕は自分は「アフォーダンスの操り人形」だと思っている。ただし自身の行為を物語化する操り人形ではある。そして世界には「幸福な操り人形」と「不幸な操り人形」がいる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 year
相手のために良かれと思って為したことが、相手にとってはまったく好ましくない、むしろ傷つけられる経験となる、という事態がしばしば起こる。つまり、こちらにとっての優しさと相手の受け取る優しさがズレているという問題。 この「優しさ授受問題」はあるゲーム用語で語ってみるとクリアーになる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
重版、決まりました。 みなさまお読みいただきありがとうございます。
@NewsPicksP
NewsPicksパブリッシング
4 years
『世界は贈与でできている』、おかげさまで鋭意重版中です。来週、重版出来予定です。まだ在庫のある書店様もありますので、お急ぎの方は、お近くの書店様などでお求めいただけますと……!
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
映画「ドライブ・マイ・カー」が描いた一つの風景は、セルフケアの構造だろう。 「傷」をケアするのは他ならぬ傷ついた主体本人なのだが、自分独りではケアできない。ケアはその本質においてセルフケアなのだが、そのセルフケアは他者に導かれなければなし得ない。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
声が大きい人(自説を��げさに言い立てる人)は、それを聴く人の知性を信じていないから、僕は嫌なんです。ポンとそこに置いておけばいい。いつか、誰かが、それを気付いてくれるから。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
正しく沈黙し、手が目に追いつくのを待つこと。ネガティブケイパビリティとは、そんな、目と手の間の矛盾に耐える能力のことである。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
自分の<弱さ>に向き合うという"強さ"について、最近ずっと考えてました。そうしたら、岸田奈美さんがそれを真っ正面から書いていました。しかも、そこに僕の本が関係している、と。
@namikishida
岸田奈美|Nami Kishida
4 years
書くのが怖かったけど、書けてよかったな〜〜〜。友達がいないと言い続けた29年だった。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
救うつもりだったのに救われてしまった。あなたを救うはずだったのに、私が救われてしまった。先日、中島岳志さんとお話ししたときにも、贈与は「してしまう」「してしまった」ものだ、という議論になりました。
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
何らかの意味で、自分自身に呪いをかけてしまっている場合、その呪いから醒めるためにできることは、恋と学問ではないだろうか。なぜなら、そのどちらも、「私」から遠く離れないと成立しないから。とは言ってみたものの、恋も学問も自分の意志で始めることはできない。それらは導かれるものだから。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
山口周さんから『世界は贈与でできている』の書評をいただきました。 全てリセットされた世界経済…懐かしくて新しい"贈与"のシステムが回復させる エコノミーにヒューマニティを #POL
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@YutaChikauchi
近内悠太
2 years
人前でしゃべったり、ものを書いたりするときに、その主張が「今から100年前であっても、また、100年後であっても通用するものか?」と考えるのはけっこういいトレーニングというか、自己批評になると思う。通用するならば、その主張は議論の対象の「構造」を取り出せていることになる。
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@YutaChikauchi
近内悠太
4 years
どうすればお返しが自分に返ってこないか。そこに配慮するのが贈与です。
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@YutaChikauchi
近内悠太
3 years
「おかげさまで」 陰と様が付いている。だからそこには隠れている何かがあることが示される。太陽は贈与者の一つの典型例として語られるが、僕は月こそ贈与の象徴だと思う。なぜなら、月が輝いているということが、太陽が居ることを物語っているから。
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@YutaChikauchi
近内悠太
5 months
3刷なのです。 手に取ってくださったみなさま、ありがとうございます。
@shobunsha
晶文社
6 months
本日の朝日新聞に、近内悠太『利他・ケア・傷の倫理学』のサンヤツ広告掲載。おかげさまで、先日3刷も決まりました! 未読の方はぜひ!
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@YutaChikauchi
近内悠太
1 month
贈与に始まり、利他とケアを考えたら、神話やメタファーに関心が行き着きました。 イデア(あるいは論理)に抵抗するためのメタファー。ケアを語る言葉は、もしかしたら比喩にあるんじゃないかと考えています。 連続講義となってますが途中からの合流の方々にも分かるようなself-containedな講義です。
@tonarimachicafe
隣町珈琲
2 months
【来週開催】 #近内悠太 「#ケアと利他、ときどき #アナキズム」第20回 9/12(木)19時開催! @YutaChikauchi 「#ケアを拡げる」をテーマにした連続講座。 今回のテーマは「メタファーという弱い言葉」
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