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Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏

@yoshihirokondo

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pianist🎹6/22新譜「Brilliant Virtuoso」を配信にてリリース🎹note→サポーターズクラブ→

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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
2 months
本日、新アルバムリリースです☺️。配信のみによる新譜リリースは日本のクラシック界では初めてのようです。Apple music、Spotify、Amazon music、iTunesなどなど多くのプラットフォームで聴くことができます。 なお、配信のみですのでCDの発売はありません。ご了承ください🙇‍♂️
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ショパンのエチュード作品10-4。弾いていると結構長く感じるというか、なかなか終わらないって思うんだけど、実際は余裕で2分以内なのね…時間の感じ方って本当に不思議。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
ピアノの足の金属車輪、向きによって音色やバランスが変わるが、これが本当に劇的、まさにオーディオのインシュレーターのような役割を果たす。先日の浜離宮のコンサートでベヒシュタインを持ち込んだ時に、細かく角度に凝って色々試していたら、超低音が地を這うような出方をし始め、気持ち良かった…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
7 years
残念な事に音楽学生の中に他を思いやれない人を多く見かける。本来この精神はとても大切なのだが「音楽ができれば他は許され→我儘→優越感→軽蔑」「音楽だけやってきた→常識や道徳の欠如」が根底にありそう。そのせいか差別的な人も少なくない。でもね、心のない人の音楽に価値など全くないよ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
演奏家を目指すなら若いうちに他人の演奏で心揺さぶられる経験をしなきゃ絶対ダメ。他人の演奏を斜に構えて聴いてばかりで自分の感性の窓を閉じていたら、真の不感症になって美しいものを追求すること自体できなくなってしまう。でもって「俺凄いだろ」になれば最悪。ドン引く程独善的な演奏になるぞ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
音楽をやりたくてピアノを弾きたくて、幸運にも弾き続けられているのに、いつのまにか"弾かなくてはならない""練習しなくてはならない"という義務に置き換わっていたり、難解な学問にして偉ぶったり。人間って勝手で傲慢だ… 初心。音楽の美しさ、楽しさ、ピアノを弾ける喜び。やっばそこなんだよ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
クラシックピアノを勉強する人弾く人がこれだけ増え、更には凄く弾ける人も増え…本当に素晴らしいこと。けどそこに一抹の心配…"動画時代"で弾く行為が殊更に強調されるのも手伝い、心や哲学から分離した音楽で走りすぎてはいまいか。方法論を極めるのは大切だけど"高尚なBGM"に向かうのは避けねば…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
クラシック界にも猛烈な勢いでネットを通じポピュリズム化の波が押し寄せてきていて正直怖さも感じている。100%是などあり得ず、時には非や少数派に正解があったり、その事が後々証明されるような事があるこの世界。より慎重に言葉を選びながら思いを伝えていければと。"芸術"と"将来"を見据えつつ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
潮目が変わったというか時代は変わったというか… 絶対的な権威の前に我々平伏してきた"コンクール"。しかし最早コンクールが試されている感。ネットで世界中が観れる今、審査員の踏み絵感もハンパない。高度に弾ける人ばかり、その中で何を正解とするのか。 単に娯楽でよいなら存在理由はない訳で…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ピアノは「音を出したら終わり」ではない。音を出した後次の音の準備をするだけでは駄目。出した音を体の中で膨らましたり萎ませたり、音が持続する中で様々なイメージを持たないと音楽が繋がらず流れない。しかもオーケストラの様に多彩に感じるべき。間の短い演奏がピアノには多いように僕は思う。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
ピアノに限らず…専門的に見ても凄いと思える技術や表現を持っていても、実はそこから先の精神的内面的領域を認識し、求め、獲得し、表せるかで真の芸術性は決まると感じる。この領域は聴き手も持ち合わせて初めて確実な共有ができる。芸術が限定された人との共有となっていく理由はここにあるのかな。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
7 years
練習不足や手抜きなどのいわゆる「ナメた」姿勢は音楽に「イヤな感じ」を纏わせる。当然聴き手に何らかの負の印象を与えるし、その不誠実さは間違いなく伝わる。それに対して、過度の緊張による本番の失敗は別次元。音楽に対する誠実さを感じられるし、伝わるものがある。全然種類が違うのです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
本来音楽的であることを貫くなら「轟音」「爆音」は必要ないしその為の「怪力」も必要ない。寧ろそれらは音の輝かしい美しさを失わせ音色の種類を減らす。必要なのは「飛ぶ音」だ。それにはブレない「音の芯」が必要で、発音時の指先の瞬間的な速度が問われる。だから力じゃない。力じゃ音色は出ない。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
人間性、とにかく人間性だよなあ… 演奏もそう。だから何も知らないでいた方が却って良かったという場合もある。知ってしまった以上は人間性に惹かれないと共鳴しないというか…反感を持って聴いても良い演奏に聴こえてくるわけがない…人間だから。 でも、よくよく聴けば演奏に人間性は出てるね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ピアノ界のレジェンドと言えばやはりルービンシュタインだと僕は思う。極めて自然で愛に溢れ、ニュアンスに富んだ演奏。老齢になってからも更に劇的に進化したことも凄い。一度で良いから生を聴きたかった…ただ、1966年の2度目にして最後の来日公演のプログラムは持っており…79歳でこれ。マジ超人。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
2 years
なんでも鑑定団でショパンの手紙が出てきてビックリ。しかも本物!しかも400万!凄いなあ…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
やはり年末となるとこの旋律ですよね。ベートーヴェンの第九。リストによるピアノ2台版でこの部分を。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
根拠なく弾けていたものは、いずれ根拠なく弾けなくなる。「根拠」は実は演奏の最大の拠り所なのだ。偶然は必然に変えなければ。だから根拠を出来るだけ多く見つけ出し探し出し、自分自身で解っておくことがとても大事。技術面も表現面も、いやもう全てにおいて。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
高橋選手の復帰、めちゃめちゃ楽しみだ…あの燃焼度の高い演技がまた試合で見れるんだなあ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
「音の汚さ」になぜ慣れてしまうのか…「しっかりした音」を出そうとしているうちに打鍵が打撃系に変わり、その衝撃音がないときちんと発音していないと感じ始め、その瞬間から美的感覚とすり替わってしまうようだ。しかもピアノ周りでは轟音に感じても、打撃音のあとの音の響きは伸びないんですよね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
「汚い音」はほぼ皆が一致して分かると思うが「綺麗な音」というのは難しい。好みもある。ただ個人的にはノイズのない耳触りの良い音が綺麗というのは少々短絡的で安易かなと。表現の中で多彩な音色に変化し得る本当に綺麗な音というのは、もう一段階先を行く、実はノイズを伴う「美しい音」だと思う。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
音というものは「次に繋げる」音で弾かないと。どんなに流れるように弾きたいと思っても、そもそも「終止音」で弾いてしまったら歌にもフレーズにもなるわけがない。これは打鍵や音質、音色の感覚の問題。ピアノは発音の過程が打楽器的だから間違った感覚が身に付きやすく、その悪影響もモロに出る。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ゲネプロで確認練習中。こんなのお見せするのは初めてかも…ま、たまには良いでしょ。いつもなんとなくこんな感じでやってます。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
今は"ツルツル"な音楽が求められている傾向だと日常的にも肌で感じている。ツルツルしたものには光沢はあっても奥行きや立体感、複雑なひだがない。 奏者が本来追求すべき"内面"…苦悩を伴い膨大な時間を要するが、そこに"人間"が弾く意味がある。深みや知的さこそが芸術に最も必要な能力だと考える。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
演奏する者にとっての「弾く幸せ」は表現できる幸せ、聴いてもらえる幸せ、共感してもらえる幸せ、成長していく幸せ…様々な幸せがある。でも決して忘れてはいけないのが「日々楽器に向かう時間を持つことができる幸せ」。これが全ての幸せの出発点なのです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
今は多くの若者がクラシック音楽を学ぶ。音大も多いしコンクールも増えた。けれど聴き手は減少傾向、高齢化も進む。専門に学んだ人は実は熱心な聴衆になり難い。これは学生時代の音楽との関わり方に要因があるようにも思う。フラットな価値観、聴き手としての楽しみ方や喜び…これらも大切な学びです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
練習は当然自己を高めるもの。でも同時に聴衆への感謝のしるしであり、誠意の表れでもあると思う。だから「練習しないでも弾ける」演奏は正直好きになれない。たとえ既に弾けていても練習すれば何かが湧くし、実際弾いてみないと得られないより複雑で密度の高い領域もある。演奏は心持ちも伝わるから。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
今日はどうしても用があったので、久しぶりにホールのピアノを触ることができた。濃厚接触は全くなし。ホールのピアノ…あ〜懐かしい。音楽ができる、ピアノを弾ける、そしてホールの響き…有り難みを心から感じたひと時。ピアノの音色が天上からの響きにしか聴こえなかった。感謝しかなかったな。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
2 years
ピアノはやはり"倍音"だなと。 倍音の豊かな音色を聴き取れる耳を持てるか、そしてそれを追求し実際に出せるか。 倍音感が多いと音色や表情が豊かになり"硬い音"でも丸く柔らかな音に聴こえる。だからハンマーをモコモコにする必要がないし、ホールで音も通る。 自分が考える"上手い"の基準はそこ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
今は「天才」的な、よく弾く子が次々と現れる。技術の合理化が進む現代では極めて自然な現象だと思う。でもそれに当てはまらなくても焦る必要は全くない。着実にスキルを身に付け、心や精神が演奏に表せる様な成長を遂げることが大事だ。より奥深い領域に足を踏み入れる事こそが真の目的なのだから。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
聴き手が感動するのは「演奏者が気持ちを込める」からというのは勿論言えてなくはないのだけど、それは決してメインではなく、「細やかで彫りの深い表現をする」からこそだと感じる事の方が圧倒的に多い。「気持ち」というの実は非常に曖昧で、表現を寧ろボヤけさせてしまうケースも少なくないと思う。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ロンティボー1、2位独占。本当に凄いこと。ただ個人的には寧ろ驚きはなく「そうだよな、そのはずだよな」と。日本人が日本人の素晴らしさにそろそろ気付いて良い頃だという啓示だとも思った。 本当におめでとう!!
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
練習量の違いは結局、表現の「練られ度」の違いとなって表れますね。判る人には判ります、この部分。ここを大切にする人にとっては本当に重要な違いだし、演奏上も聴き取る上でも実際に一段階高度な領域であるのは間違いない。巷でいう完成度とも異なる領域。でも芸術ならばこの要素は「命」の筈です。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ショパンを殆ど弾かないピアニストって昔何人かいたが…個人的にはショパンはレパートリー的な意味合いだけでなく音楽表現の学びとしても大切だと思う。何というか…作品のフォームの力に頼らない自然な歌の表現が最も必要と感じるから。「本当に」ショパンが上手く弾ければ他の作曲家も上手い筈で…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
練習で弾けているならば、本番だって当然弾けるはず、なのに弾けない。そこが人体の不思議。けれど先入観にとらわれず発想を色々と飛ばして、ありとあらゆる方法を探っていけば必ず「本番で弾ける方法」が見つかるはず…練習で弾けているならば、可能性はそもそもゼロではないので。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
かなりのダメダメな自分を救ってくれているのは"練習"。それしかない。僕の場合は、まさに"練習"に尽きるピアノ人生なんですよね、これまで。しかも相当に効率の悪い練習によって支えられてきた。でも、それでしか得られないものが結果的にあったから、なんとかここまで来れていると思うんです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
2 years
"ピアノの音"は確かに"音"なのだけど、"音"として聴こえてはいけないというか…音楽を奏でるための素材として"空気のような存在"でないといけないと考えており… それは"表現"も"技術"も同じことで… "音楽"というよりも、もはやそこから浮かび上がる"世界"だけを…聴き手に感じさせたいというか。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ピアノ特有…速い動きでなぜ音を揃えようとする?機関銃のように弾けば刺激と快感がある?そんな無駄な指の強さは何の自慢にもならないと思うな。音、そして一音一音の移ろいから生まれる表情、全てが美しくないと。速いパッセージほどオーロラのように変化させないと何の変哲もなくなる事に気付こう。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
指導しても「自分はもう解っている、出来ている」という態度をあからさまにしたり、それどころかキレてむくれる、最近はこれが出来の良い生徒に多いらしい…昔も確かに弾ける生徒は自信満々だったが、師匠の言葉は特別なものだった。実際私達が携わる芸術は20代位で全てが解るほど単純じゃないからね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
「本番に弱い」には様々な理由があるし、様々なタイプがある。たとえ緊張しても崖っぷちで踏み留まれれば、よりスリリングで高揚感のある演奏に持っていける。崩壊を防ぐには「緊張しないこと」を求めるよりも「本番においてより安心感のある技術」を探求していく方が早道だし、理に叶っていると思う。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
客観的に考えれば世の中で「最も上手い演奏家」など存在する訳がない。あるのは聴き手一人一人の「最も共感する演奏家」。精神や感情と繋がるものだからその時々で変化する事もあるだろう。それはそれで仕方ない。演奏家はただひたすら己を磨くのみ。その結果一人でも多くの人と永く共有出来たら幸せ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
僕の演奏を聴いてくれた人が、その演奏によって人生のほんのわずかな一部でも潤ったと感じていただけたら嬉しい。そう思いながら数十年ピアノを弾き続けてきた。一人でも多くの人と出会えて、共有できて、その人の何かを潤すことができたなら、それが最高の幸せ。それを積み重ねていきたい。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
今は演奏家が最早アスリート視され、芸術的な深まりよりも速度や筋力、音量が求められる傾向。「若くして驚かせた者勝ち」的な様相も。メカニックが急速に更新される昨今。でも弾き手が年齢と共に深めていく芸術性こそが根本的な本質。自分はそうありたいしそれが可能な環境であって欲しいと切に願う。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
振り返ると…有名になりたいとか偉くなりたいとか、そんなの実際どうでもよくて、ただただ自分の考える美しい瞬間を一人でも多くの聴き手と共有したい、そして弾き続けたい、ひたすらそう願ってきたな… でも「聴いてもらう」って本当に大変なことなんだ。 今も同じことを考え続けている。ずっと。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
モーツァルトは収入が少なく、コンスタンツェには浪費され、天才なのに不遇という昔のイメージは、今の研究では相当違う。相当収入を得ていたのにギャンブル好きで借金がかさみ、首が回らなくなって色々な人にお金を借りようと四苦八苦していたらしい。個人的にはやっと音楽との整合性を感じられた…😌
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ショパンのエチュードOp.25-12。いわゆる「大洋」。これがなんと図ったかのようにぴったり140秒!なのでした。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
7 years
お盆休みプレゼント、と言ってはなんですが、ラフマニノフの前奏曲「鐘」から。調律もちょっと狂ってますが、色々ご愛嬌ということで。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
「たった一つの音」の出し方、切り方、伸ばし方、歌わせ方、感じ方、それら全てへの考え方、気配りの仕方… 一つの音にまつわる全ての行為にその人の性格、というか本性が表れるもので…曲の演奏ともなれば、それらが集積したものになる。 だから演奏というものは、その人そのものになるんだなあ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
クラシック音楽は実は小さな世界です…CDがよく売れていた時代、クラシック人口は1%と言われていてポップスがミリオンセラーで大ヒットならクラシックは1万枚で大ヒット…それを何とか広げたいと若い頃は強く思った。でも安易に広げるだけなら却ってマイナスな事が起こる…近道はないと気付きました。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
音楽の魅力は絶対ナマ!勿論ネットだってそれなりに楽しめるし参考にはなる。おおよそは分かる。でもナマは「似て非なるもの」なんだ。やっばり全く違うんだよ。空気感、立体感、感情や内面の伝達、レンジ、美しさ…全てが。歴史的建造物だって写真と実物では受ける印象が全然違うでしょ。それと一緒。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ちょっと汐留のベヒシュタイン・サロンへやってきましたので、幻となったグリーグのホルベアの頭だけ少〜し。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
1 year
大きな手に憧れる人は多い。確かに楽になるパッセージは多いと思う。 手が小さ過ぎると曲によっては辛いパッセージが多くなる。でも大きくないメリットだってある。小回りが利き、軽やかさも出やすい。透明感や色彩変化も大き過ぎない方が向いている。 それぞれの手に合う"最高の音"は必ずある。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ラフマニノフの1922年のピアノリサイタル。なるほどこう見ると、リストへのリスペクトを凄く感じるプログラムだ…リストはラフマニノフが子供の頃生きていたわけだから、より親近感があるというのもあっただろうけど。今はなかなかこんな風にプログラムを組まないよなあ…凄く興味深い。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
ピアノはムキムキな力で弾くのは違うと思う。但し一瞬の鋭い瞬発力は要る。 寧ろより脱力し打鍵を制御、微妙な差異から音色や襞を生み出す。そして歳と共に引き出しを増やす。本質はそこに潜むと… 数々の事例からの学び…深まりは力からは得られない…事実、巨匠達の芸術は老齢でより輝いたのだ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
駅のピアノを通りがかった人が弾く番組、結構好き。趣味で弾く人の内から溢れ出る自由な表現や音の温かさ伸びやかさが何だか心地良い。音大で学ぶ人がバリバリ弾きだした途端音が機械的になり、響きも止まってしまうケースが時々ある。技術や知識が表現を邪魔しないというのもまた難しいと痛感する…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
プロは確かに厳しい道。でも何というか、アマチュア的な感覚を常に忘れてはいけないとつくづく思う。でないとささやかな感動に鈍感になり良い音楽など出来ない。クオリティの高さは重要だがそれが必ずしも感動的な音楽とイコールにはならないのが、音楽の本質の不思議で面白く、また奥深いところ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
音楽を含むエンターテインメントは確かに娯楽かもしれない。けど…それを職業にしている人にとってはやはり仕事なのです。だから「この期に及んでお金儲け」ではなく「生活しなければならない」つまり皆さんと一緒であるという事だけは忘れないで欲しいな…勿論今は我儘を言える状況ではないですが。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
指使いを「何となく」ではいけない!きちんと弾くため、音楽的に弾くために最重要といっても過言ではない指使い。弾けないパッセージが弾けてしまうくらい運指で変わる。無理がない方が心にも演奏にも余裕が出るし、本番の緊張も減る。知らぬ間に無駄の多い指使いを結構してしまっているものです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
よく響き、よく伸び、透明で沁み渡る音。個人的には一番好きな音なのだけど、人によっては迫力が足りないとも感じるようだ。けれど頑張らずとも、さらにはどんな弱音でも、どこまでも飛んでいく美しい音には言葉では言い表せない程の迫力を感じる。逆に物理的な「迫力」の圧力に閉口する事は多い。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
人の手や指は本当に千差万別。大きさや厚み、骨の太さ…それに指先の形。ぷっくらと丸い人もいれば平たい人もいる。爪の生え方も違う。更に言えば腕の長さも違う。同じ奏法で良いわけないし、同じ音になるわけがない。自分に合う奏法と求める音。究極のものは自分一人で探すしかない。孤独な旅です…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
人間的に性格が良かろうが悪かろうが、傑出した凄い演奏をする人はいる。ただ個人的には…品性、品格に関してだけはその人の本質が間違いなく演奏に表れると感じている。だから人間を磨かないといけないとは思うのだが…これが一番難しい領域だろうな。一応心掛けるようにはしていますが…(笑)
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
本番では「ありったけ表現し切ろう」と思う方が良いパフォーマンスを引き出せると思う。「ちゃんと弾こう」「練習した通りに弾こう」とすればそれが自分へのノルマとなり、却って緊張してしまうし演奏も小さくなる。とりあえず体に染み込むまで練習したら勉強は終わり。本番くらい解放してあげよう。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
カレル橋そばのスメタナの家はちょっとした博物館になっている。中に入ったら女性がピアノを触っていた。僕もサラッと触れていたらその女性がこの博物館に展示してある楽譜を持ってきて初見でロマンツァという作品を弾くことに。てな訳で音間違いなどありながらですが…何と幸福かつ貴重な経験!
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
いつも心掛けている事ですが…本番では、ちゃんと弾こうとするよりも音楽的に様々な事を表現しようとする方が、緊張の度合いも軽減されてうまくいく確率が上がるように思います。だからちゃんと弾く事を目指さなければならない状態で本番を迎えてはいけない。さらにパフォーマンスが落ちてしまうから。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
才能。指の回りや記憶力がたとえ極普通だとしても…音楽的な発想が豊か、自己を高める努力を人一倍できる、真の深みを追求して着実に深化していける、これらも凄い才能。それにより誰よりも胸を打つ演奏をする事は普通にあり得る。尊い精神性は必ず演奏に表れてくる。諦めず継続する事こそ大切と実感。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
ピアノを弾くという行為は「どう立ち向かって楽器を捻じ伏せ鳴らし切るか」というよりも「どうコントロールして美しく豊かに響かせるか」だと個人的には思っています。微妙だけど「制圧」と「制御」の違いなんですよね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
約35分の新曲コンチェルトを暗譜できるんだから、まだまだ若いって言っていい??🤗😁
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
一旦練習した曲から暫く離れ、少し間を置いて戻ると感じ方が変わり、より俯瞰した聴こえ方に自然となっている。するとアーティキュレーションがより自然に弾けたり、より自在な変化を付けられるようになる。「寝かせては弾く」を繰り返すことは大事。一夜漬けなど最悪…判る人には判る。音楽を大切に。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
しかし、今日もまた…大学の門に入るところで警備員さんと問答。 「今日はどういったご用件で?」「レッスンです」「どの先生のレッスンですか?」「あの〜…僕がレッスンします」「あっ!ごめんなさい、失礼しました」… デジャヴ??
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
音楽教室時代からよく知っている友達が突然星になってしまった…最近まで元気そうだったし、まさかの思い。 でももうそれが不思議ではない年代に入っているのだとも痛感させられ…病気でなくても明日は会えないかもしれない。今日一日を大切に生きて、自分にできる精一杯の音楽をしよう…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
学習する上で「真似」は実は大事な出発点だったりする。真似できればそれだけの技術があるという事だ。でもそれは速度の事じゃない。表現。素晴らしい表現はそう容易く真似できない。でもその過程でニュアンスや音色の細やかな違いや複雑さに初めて気付かされ、そうした領域の存在を知るケースも多い。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
演奏家は演奏会がなくなれば死活問題。僕の場合一口には言えない様々な理由もあり、学校で教える事を基本的にしてきていないし、特定の生徒さんを持ってもいないので、完全フリー。できるか分からないけど、演奏会が無いならスパッとやめようと昔から考えている。皆さん聴ける時に聴いておいて下さい☺️
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
自分はあまり要領よくこなすタイプではなくとにかく練習するしかない。時間が凄く必要。限界まで時間を取り練習しておけば安心感が1ミリでも増すし「あれだけやったしもうしょうがない」とも思える。高まりや深さは練習しまくっている間に少しずつ自然と加わってくれる副産物、ご褒美だと思っている。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
好みでない=ダメな演奏とならずに「それはそれで素晴らしいけれど自分の求めるものとは違う」という感覚を持てるようになると、真の審美眼が身に付くし、視野自体も広がり音楽の理解にしても感性にしても一つ上のステージに上がれる。自分の価値基準もより成熟させられる。
@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
「最高の音楽」は決して一つだけの形ではない。若い頃は自分の求める方向性で極まった形こそが最高のものと思った。でもそれは全然違う。素晴らしいものは多種多様存在し、それらを許容できることで自らの幅も広がる。とはいえ自分の理想を曲げるのではない。より自己を絞り込んでいくことに役立てる。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
本番はうまくいかなかった時の方が格段に得るものが多い。何より「ダメな方法」が分かるというのは本当に有益。それに上達に向けて目標もできる。一番困ってしまうのが「なぜかたまたまうまくいった」というやつ。これ程不確かで自信を持てないものはない。これが多いと、ここぞという時に怖い。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
19世紀生まれの人はもう存在しなくなってしまった…それにしても凄い。ブラームスの没後6年、ハチャトゥリアンと同い年、ショスタコーヴィッチは年下!グリーグもドヴォルザークもサン=サーンスも生きていたってこと?だよね。
@GWRJapan
ギネス世界記録
5 years
福岡在住の田中カ子(たなか かね)さん、116歳66日で #ギネス世界記録 『存命中の世界最高齢(Oldest person living)』および『存命中の世界最高齢の女性(Oldest person living (female))』に認定
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
何の為の演奏か…やはり「表現するため」しかないのです。ではその表現とは…ピカピカに磨いたテクを披露する事ではないんだよね。もしどれ程の完璧なテクを持っていたとしても、寧ろそれを微塵も見せず感じさせず、只管心に訴えかける要素のみにそのテクを捧げる…そんな演奏には心から感動するなあ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
練習したからといってなかなかすぐには結果が出ないものばかり。でも20年以上経って結果が出始めるものもあるということが分かってきた。とにかく熟考、努力、忍耐、あとは信じること、ですね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
どうしてもうまく弾けない、超えられない壁が大きい…だから日々心血を注げるのかもしれない。思い通りに弾けてしまっていたら目標を失い、ここまで執念深く向き合っていなかったかもしれない。出来ないからこそ、それを克服する為の強烈な追求心が芽生える。真の成長の機会はそこにあるのではないか。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
うまく言えないけど、聴き手が「ピアノを弾く」という事を行為として感じるうちは、その弾き方じゃ駄目だと思うのです。手の中から魔法のように音や音色が湧いてくる、そんな感覚が個人的には理想だな…そう思って弾き続けていたらそうなってくるものかどうかは分からないけど、イメージは大切ですね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
気持ちを込めて弾いたからといって必ずしも気持ちの入った音楽になるわけではないけれど、気持ちを込めなければ100%気持ちの入った音楽になることはない。気持ちを込めることとそれを音楽に反映させる術を得ること。両方ないとどうにもならない。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
当然な話だけど、芸術って今の僕の年齢くらいからやっと始まるといっても過言じゃないから…勿論若いなら若いなりのピチピチな魅力がある。でも若い内は結局「芸術の外側」をウロウロしてたな。本当の「芸術の中心」に向かっていけるか、本物の芸術に触れることができるか、これからが勝負だな…自分。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
今日は上野学園大学にお呼び頂き、学生にワンポイントアドバイスの特別レッスンをさせていただきます。 しかし! 入り口で警備員さんに 「今日はどういったご用件で」 「レッスンです」 「あ、受けられるんですね」 「いや、教える方で…」 「あ〜」 というやりとりが… 私、もういい歳なんだけど😅
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ピアノは簡単に音が出るし簡単にそこそこの演奏も可能、入り口は易しい。でも究極的な高みを求めたら最も難しい楽器になるんじゃないか…いや、どの楽器も究極を求めれば大変だと思う。ただピアノは音の数の多さに加え、それだけ分複雑な事も出来る、そしてそれをしなくてはならない楽器だと思うので。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
「音」は当然大切。それと同様に、いやそれ以上に大切と言えるのが「音と音のあいだ」。そこに様々な要素を密度濃く込められる程音楽はストー��ー性や劇性を帯び物理的な音量等に頼る必要がなくなる。出し入れもより細かく多彩に行えるようになるからいざという時の音量の効果も増す。これこそドラマ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
音は大きくして聴き手に届けるのではなく、小さくても届く様な飛ぶ音を目指す。加えてフォルテで何種類もの段階を持つ。本当に炸裂してしまうのではなく炸裂感のある強音を出せれば、音は割れずスケール感も増す。力ずくの強音ばかりでは単調で色もない。本当の意味で幅広い表現を目指したいですね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
何十年も使った楽譜は自分の宝。紙は劣化するし持ち歩きは重いし…そりゃ電子楽譜は利便性が高くて合理的なんだろうけど、気持ちのこもり方はやはり全然違うなあ。実体を伴う実物の楽譜への思い入れ。この「愛」は音楽への愛や演奏に込められる愛と通じる気がする。「機能的」な音楽じゃなくてね。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
やはり… 音楽家が音楽家であり続けるためには音楽を追求し続けるしかなく。演奏家が演奏家であるためには人前で弾き続けるしかなく。そこに唯一無二の、他には代えられない成長と得るものがあるから。 だから、泥臭く足掻いてでもその可能性を探っていく、諦めずに。生きている限り。 心底実感。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
結構な田舎に住んでいることがバレてしまうが、今日は駅から家に帰るまでの間に、地面を這うセミの幼虫を3匹救出。拾い上げて木にとめてあげた。でないと、誰かが必ず踏んでしまうからね。実際踏まれた幼虫を数多く見かける。7年も地面の下にいて、出てきて早々に人に踏まれたんでは浮かばれん…
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@yoshihirokondo
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6 years
普段の練習では本番そのままの表現ではなく、本番の為の青写真というか骨格を細部まで拘って作り上げて体に染み込ませる作業をしています。これによって本番で自由に解放しても音楽的基盤が揺るがなくなるので、自分にとってはとても大切な過程。時間もかかる。でも本番は毎度違うものになるし、新鮮。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
ピアノのソリストというのは孤独なもの。でも孤独だからこそ辿り着ける領域や世界観というものがあるはずで、実際それを感じることも多い。まさに孤独ならではの、ある種の時空の超越感みたいなものがありそう。せっかくの孤独を生かし、そういったものをちゃんと獲得しなきゃ、と思っています。
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@yoshihirokondo
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5 years
やっぱりクリスマスというとバッハ…かなあ。というわけで以前弾いたパルティータ第2番のロンドを。
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@yoshihirokondo
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3 years
演奏家になったからといって何も立場は変わらない。そこからさらに学んでいくだけのこと。人に自分の演奏を聴いて頂く職業なわけだから、音楽について、奏法や表現について、さらに勉強を重ねて追求していかなければ。それに…演奏会は自分が輝こうとする場ではなく、作品を輝かせようとする場だし。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
「ラ・カンパネラ」ってとても音楽的で素敵な曲なんだよな。あの高音には色々な意味が込められていて、しかも変化していく。キラキラしているだけじゃ駄目。実は超高音や低音の表情変化は難しい…それに32分音符一つ一つにも表情と歌と方向性がある。「美しく弾くこと」の難しさ。本当に立体的な曲だ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
6 years
『出来ていない』の理由。 ①やっていない ②やったけれど出来ない ③気付いていない ④やり方を間違っている ①はさておき、殆どが②だと思いがち。でも実際は多くが③④ではないかと。様々な経験から気付きを得つつ、自分に合う方法を見付け出していくこと。これに尽きると感じています。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
心を込めて寄り添う気持ちで弾けば、楽器はきっと応えてくれる…征服しよう、支配しようとすれば、絶対良いものは生まれてこない。もしかしたらそれは全てに通じることなんじゃないか。心の底から感じます。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
3 years
ふと思ったのですが… ピアノの演奏というのは点描で絵画を描くようなものなんじゃないかと思うのです。 点描の点一つ一つがピアノの打鍵時の発音の瞬間と考えると、何だかしっくりくるんですよね。だからいくらでも表現豊かにできるはずなんです。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
無症状でも軽症でもうつるってんだから、もうほんと防ぎようがない。普通のマスクもコロナは通過すると言うし…ならば、とにかくよく食べよく休んで免疫を高めて、もしコロナになっても出来るだけ軽く済ます方にシフトするしかないんじゃないか。すでに感染して治っていたかも知れないわけですよね…
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
5 years
家に帰ってからも練習、練習。とにかく本番には余裕を持って音楽をしたいし、自由に遊びを持たせたい。そのためには練習しかない。それでもうまくいかない時はあるけれど、そういう時でも聴き手に何らかの伝わるものをもたらしてくれる。但し表現のスキルが上がる練習をちゃんとしていれば、だけど。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
7 years
音楽を続けている限り、いや弾き続けている限り、「出来なかったことが出来るようになる」の連続だと思う。到達点など永遠にないし、将来の自分と比べれば今の自分は常にヘタなのだ!そうでなくてはならない。今の自分の演奏にそこそこ満足ならもう進化はないだろう。中身が薄くなって衰退あるのみ。
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@yoshihirokondo
Yoshihiro KONDO/近藤嘉宏
4 years
全くの個人的な思いなのですが…でもこの数ヶ月ずっと感じ続けているのは���人間の所業が「天の怒りに触れた」のではないか、ということなのです。僕は特にスピリチュアルなわけでもなく、宗教的に深い信仰心があるわけでもないのですが…でもそれを強く感じてしまって…その思いを止められないのです。
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