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泉州ライナー

@senshuliner

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泉州ライナー
3 years
間もなく引退の時を迎える185系のデビューと同時に登場した「踊り子」の愛称ですが、24系の方向幕にも「踊り子」のテールマークが入っていたのには驚かされました。 1988.3.27 宮原運転所
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3 years
1編成しか在籍せず南海の虎の子的存在だった20000系「こうや」。1日2往復のみの運転でしかも冬季は検査の為運休ということもあって、現在の30000系や31000系とはオーラが違っていたように思います。難波駅の端の短い1番線から発車していましたね。 1983.6.19 難波
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2 years
各地から集結した色とりどりの車両が活躍していた頃の阪和線113系快速電車。運用により阪和色、湘南色、瀬戸内色、��新色の4色混色編成となることもありました。日替わりで変化する様々な組み合わせが楽しみでしたね。 2006.8.22 鳳/天王寺
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3 years
西宮北口のダイヤモンドクロスで阪急神戸線を横切る今津線1100系1116。冷房改造前の美しい屋根R部の通風孔が印象的でした。 1984.3.24 西宮北口
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3 months
南海本線大和川橋梁を行くサハ4801形南紀直通列車最晩年の姿。南海電鉄線内では電車(1551形)が客車を牽引するユニークな運行形態でした。緑色の車体と最後尾に掲げられた「南紀直通」円板が南海電鉄の車両らしさを感じさせてくれますね。 1972.3 住之江-七道
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6 months
阪和線羽衣支線で活躍していた頃の123系。荷物電車時代の車体のまま旅客化改造されたため、アンバランスな扉配置がユニークでしたね。オレンジ色のサハ103形を挟んで運行されていた時期もありました。 1995.3.29 鳳
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2 years
小型化されてしまったものの「快速 奈良-大阪」のヘッドマークも誇らしげに関西本線久宝寺-加美間を行く関西色113系の快速電車。阪和色とともに国鉄時代には珍しかった地域限定色で、当時の天王寺鉄道管理局管内の113系は魅力的な存在でしたね。 1985.8.8 久宝寺-加美
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1 year
難波駅に到着した南海キハ55系「きのくに」最終列車。タバコを咥えたおっちゃんが運転室に乱入してくるのがいかにも・・・ですね。専用の円板は回収され、折り返しの回送列車には通常の回送円板が取り付けられました。出迎えたファンもほんの数名というのも今では考えられないですね。 1985.3.13 難波
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2 years
天王寺駅阪和線ホームに停車中のマイテ49 2。現役引退後は弁天町の交通科学博物館に展示されていた同車でしたが、1987年の春に車籍復活し、同年秋には数回イベント列車として阪和・紀勢線にも入線しました。奇跡の車籍復活から35年、京都鉄道博物館が安住の地となるようですね。 1987.11.8 天王寺
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3 years
以前にもツイートした、喋る列車「フェスタ」ですが、駅に停車中には口を開け、電光表示器の表示とともに左右にあるスピーカーから音声を発していました。写真は大阪駅で「リゾートサルーンフェスタ」と自己紹介中のシーンです。 1988.10.14 大阪
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3 years
夜の帰宅ラッシュ時、家路を急ぐ通勤客が列をなす大阪駅に滑り込んだ「フェスタ」。そのユニークな姿に一般の乗客の方は驚いたことでしょうね。 1988.10.14 大阪
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2 years
富山までは特急「雷鳥」に牽引され、富山地方鉄道の立山、宇奈月温泉まで乗り入れていた「リゾート立山」と「リゾート宇奈月」。日本中が活気に溢れていた1990年代初頭は、このようなユニークな多客臨が数多く設定され賑やかでしたね。 1991.7.20 大阪
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3 years
南海20000系「こうや号」さようなら運転の日、終着駅の極楽橋駅では後継車である新鋭30000系との並びも見られました。この時20000系はまだ23歳。今やベテランの域に達した30000系は今年で38歳ですので、20000系の引退がいかに早かったのかを再認識させられますね。 1984.9.16 極楽橋
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2 years
デビューに先立ち、大阪駅で展示されたJR四国5000系+JR西日本223系5000番台「マリンライナー」。この時から早19年が経過し、気付けば213系時代の15年を既に超えていたんですね。 2003.9.13 大阪
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4 years
バラエティ豊かな車両が使用されていたかつての天理臨。今思うと豪華な並びですね。 2004.4.18 天理
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2 years
阪和線で103系や205系等の4扉通勤型車両が最後の活躍をしていた頃、当時注目の的だった3編成が鳳電車区で並びました。 2016.7.10 鳳電車区
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7 years
今から27年前の雪の日。大阪環状線103系にチョコンと乗った雪だるま。 1990.2.1 大阪
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6 years
国鉄時代末期の関西地区限定国鉄色113系3種。 1986.10.5 日根野電車区
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6 years
1987年(昭和62年)の父の日に103系+165系という珍編成で運転された「お父さん感謝大漁号」。この組み合わせでの営業運転はこの時が最初で最後だったのではないでしょうか。 1987.6.21 天王寺
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6 years
デビュー間もない頃のJR西日本207系。従来の国鉄型通勤車両のイメージを一新したデザインに驚かされるとともに、国鉄が民営化されたことをひしひしと実感したものでした。 1991.8.25 淀川電車区
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5 years
山崎の大カーブで離合する381系「しなの」とキハ181系「はまかぜ」。まさに国鉄特急型車両最盛期といった光景でした。編成が最後尾まで写っていませんが、現在と比べると両者ともかなりの長編成だったのも印象的ですね。 1984.4.8 山崎-高槻
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5 years
まだまだ103系が主力だった頃の阪和線。他線区からオレンジ色の編成が転入してくることもあり、時にはオレンジ色同士の追い抜きシーンという阪和線らしからぬ光景も見られました。 2011.10.26 上野芝
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2 years
御堂筋線西中島南方駅に入線する懐かしの北大阪急行2000系。大阪市交30系に類似した外観が特徴でしたが、座席等は比較にならないほど豪華な?ものでした。阪急グループらしいマルーンのラインカラーは現在のPOLESTARⅡまで受け継がれていますね。 1993.7.9 西中島南方
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2 years
JR貨物所属のDD51 833に牽引され阪和線上野芝駅を通過する南海31000系の甲種輸送列車。南海、泉北高速向け新車の甲種輸送列車が日中に堂々と阪和線を通過していた頃が懐かしいですね。 1998.12.16 上野芝
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1 year
新今宮を発車し終着駅難波へと向かう南海20000系「こうや」。1編成4両のみの正に南海の「虎の子」で運転本数は1日2往復のみ。冬季は検査の為運休するため希少性が極めて高く、沿線住民でも鉄道に興味のない人はその存在すら知らなかったというエピソードもあったとか無かったとか。 1983.4.24 新今宮
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2 years
183系や489系等の特急型グリーン車を改造して113系に編入されたサロ110形。近郊型との車体断面の違いがよく目立ち異彩を放っていました。 1987.3.7 東京
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3 years
四国色を纏い高松駅に停車中の高徳本線キハ30 65。国鉄からJR四国へ引き継がれたキハ35系は少数派だったように思います。 1989.11.4 高松
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7 years
オレンジ色のサハ103形を間に挟んで運転されていた頃の羽衣線クモハ123形。 1995.3.29 鳳-東羽衣
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3 years
毎回バラエティに富んだ車両の並びが楽しかった日根野電車区の一般公開。JRとなって2年目を迎えたばかりの頃でしたので、当時最新鋭の205系1000番台を除いてはすべて国鉄型車両ばかりですね。 1988.4.3 日根野電車区
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2 years
再掲写真ですが、国鉄時代の最末期、青と白の帯を纏って中京地区に颯爽と登場した211系0番台。新幹線のイメージにも通じる塗装でしたが、後に湘南色に塗り替えられてしまったのが残念でした。登場時は113系等を淘汰しましたが、今度は315系に追われる立場となってしまったようですね。 1987.3.6 浜松
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6 years
他線からの転入等によるカラフルな塗装で楽しませてくれる機会も多かった阪和線103系。本日、遂にすべての103系が阪和線を去ってしまったそうですね。 半世紀にも及ぶ長らくの活躍お疲れ様でした。 1990.3.6 鳳電車区 1990.3.8 富木-北信太 1994.7.28 鳳-富木
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2 years
御堂筋線を代表する車両だった10系もついに昨日で運用を終了したそうですね。小学生の頃、前面が左右非対称の斬新なデザインで冷房の効いた10系に初めて乗車した時の感動は今もはっきりと記憶に残っています。大阪の大動脈を長きに亘って支えた功績に感謝したいと思います。
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5 years
口を開けて喋る列車「フェスタ」。普段は広島地区を中心に運行されていましたが、この日は「’89海と島の博覧会・ひろしま」キャンペーンの為に来阪し、大阪駅での展示停車中は口を開けて博覧会PRを「お喋り」していました。 1989.4.15 大阪
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4 years
関西の「びわこライナー」ではJR東日本の車両が、首都圏の「ホームライナー」ではJR西日本の車両が使用されていた頃がありました。それぞれ「雷鳥」「能登」の間合い運用だったのでしょうね。 1993.8.6 大阪 2009.7.28 上野
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4 years
車体形状や素材等の違いが興味深い南海21000系ズームカーと2000系の連結面。各形式の製造初年はそれぞれ1958年(昭和33年)と1990年(平成2年)で歳の差32年。親子ほど歳の離れた両車が手を組んでいたわけですが、やはり相性は必ずしも良くなかったそうですね。 1996.8.31 橋本
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3 months
身軽な単行で新今宮駅を通過する南海キハ55系「きのくに」(回送)。かつては、単行運転が可能な両運キハ5551形1両での運転もあったようですね。 1975.10 新今宮
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@senshuliner
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4 years
天王寺発の国鉄キハ58系との連結作業も完了し、南紀への出発の時を待つ南海キハ55系「きのくに」。 全線電化の大手私鉄が保有するディーゼルカーとして異色の存在でしたが、晩年は冷房完備の国鉄キハ58系との格差は否めませんでした。 1985.2.13 和歌山
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1 year
南海のクイーン的存在だったデラックスズームカーこと20000系「こうや」と6100系各停の並び。当時は今で言う「被られた」と思いましたが、40年経った今となっては昭和50年代後半の南海高野線らしい1枚となりました。ホームのベンチの広告は「ハマムラ」ですね。 1983.5.1 新今宮
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@senshuliner
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4 years
JR貨物のDD51 837に牽引され片町線を行く「スーパービュー踊り子」用251系。ついこの間見送ったばかりと思っていたのですが、間もなく28年の活躍に終止符を打つ時が来るようですね。 1992.2.5 徳庵-放出
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午前中、南海6000系復刻無塗装車両撮影会に参加してきました。21世紀の世に30数年前の懐かしの姿に再会でき感無量です。南海電鉄関係者並びにご一緒させていただいた皆様、色々と楽しませていただきありがとうございました。
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7 years
普段はオレンジ色の103系が運行されていた桜島線ですが、時折ウグイス色の編成が入線することもありました。前面に帯が入っていない姿や「桜島線」の表示が懐かしいですね。 1992.2.1 西九条-安治川口 1992.2.1 西九条
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@senshuliner
泉州ライナー
2 years
新生JR九州の誕生を象徴するかのように、従来の国鉄型車両にはない斬新なスタイルで登場した783系「ハイパーサルーン」。専用塗装に塗り替えられたDE10とヨ8000改造の電源車に連結され、豊肥本線の非電化区間に乗り入れていたこともありましたね。 1988.10.3 熊本
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2 years
南海本線の終点和歌山市駅でヘッドマークを取り外し、国鉄の乗務員に交代して「急行きのくに号」として出発準備中のキハ55系。パタパタなど、もう少しホームの情景を取り込んで撮影しておけばよかったと今になって思います。 1984.12.16 和歌山市
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@senshuliner
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4 years
昨日に続いて阪和線を走る221系の話題ですが、一時期221系が急行に使用されていた時期がありました。所謂「遜色急行」ですが、当時の阪和線はまだ223系も登場しておらず221系は正にJR西日本近郊型車両の最高峰的存在でした。黒地に赤文字の急行表記も見慣れないだけに新鮮ですね。 1993.5.5 鳳-富木
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@senshuliner
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3 years
余剰となった485系電車の食堂車の改造により登場したスシ24形。当初は青に銀帯のブルトレ色となっていました。連結されているカニ24形との車体断面の違いがよく分かりますね。 1988.3.27 宮原操車場
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11 months
早いもので今日から8月。今日の日付に因んだ81の付く車両といえば、泉州路で生まれ育った者としてはやはりキハ81形「くろしお」ですね。小学生の頃、休みの日にはよく鳳駅や富木駅付近まで見に行っていたものでした。最終日にはヘッドマークを掲げたさよなら列車も運転されました。 1978.9.30 美章園
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@senshuliner
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3 months
入替用のDD13形が旧型客車1両を牽引してのんびりと走っていた在りし日の国鉄尼崎港線。撮影場所は不詳で尼崎港線が走っていた街の風景も大きく変貌し、かつての鉄路の痕跡もほとんど失われてしまっていることと思いますが、尼崎にお住まいの方なら場所がお分かりになるでしょうか。 1981.3 尼崎市内
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@senshuliner
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6 years
阪和線の撮影名所、浅香の大和川橋梁を行くカナリア103系。水色の車両が主流だった阪和線では非常に目立つ存在でした。 1990.5.27 浅香
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1 year
架け替え前の阪和線紀ノ川橋梁を行く103系高運車「B快速」。アルファベットが付いた種別がユニークでしたね。JR化後約3年が経過した頃でしたが、103系もまだ国鉄時代の面影を残していました。 1990.3.11 六十谷-紀伊中ノ島
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@senshuliner
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3 years
メーカーからの搬入後、千代田工場までの新製回送時はラインカラーのない「すっぴん」の状態で走行した南海8000系。かつての高野線ステンレスカーを彷彿とさせてくれるこの状態もなかなか魅力的でしたね。 2012.2.8 浜寺公園/堺東-三国ヶ丘 2013.2.6 中百舌鳥-白鷺 2014.3.12 我孫子前-浅香山
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@senshuliner
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3 years
デッドヒートを繰り広げる117系快速と103系普通を横目に離合する485系「雷鳥」。国鉄時代の日常の光景でした。 1984.4.8 山崎-高槻
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@senshuliner
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1 year
東海道・山陽緩行線や阪和線などで活躍し、京阪神地区ではメジャーな存在だった水色の103系でしたが、いよいよ最後の時を迎えるようですね。今から30年前の平成初頭まで一灯ライトを保ち、快速幕も誇らしげに地元の阪和線を疾走していた姿も懐かしく思い出されます。 1993.2.7 上野芝
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@senshuliner
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6 years
名古屋駅で並んだキハ82系「南紀」と「リゾートライナー」。「リゾートライナー」はキハ82系から改造されたものでどちらも同じ形式の車両なのですが、あまりの変貌ぶりに同一形式であることが信じられないほどですね。 1989.3.15 名古屋
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@senshuliner
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5 months
先日南海電鉄から銚子電鉄に譲渡された2200系。懐かしのカラーで登場したことには驚かされると同時に懐かしい気持ちで一杯になりました。ちょうど高野線から支線への転用が始まった頃の姿の再現といったところでしょうか。 1995.8.27 芦原町/木津川-津守/羽衣-伽羅橋 1995.7.5 和歌山市
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@senshuliner
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1 year
既出の写真ですが、かつて南海電鉄は南紀直通用ディーゼルカーを保有していた時代もありました。片運転台のキハ5501形と両運転台のキハ5551形の2車種があり、ペアで運用されることが多かったですね。 1984.8.19 箱作-淡輪 1985.2.12 石津川-諏訪森 1985.3.5 諏訪森-浜寺公園 1985.3.28 羽倉崎検車区
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@senshuliner
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4 years
鶴橋駅を発着する懐かしい塗装の近鉄特急のバラエティ。物心ついたころから近鉄特急と言えばこの色だっただけに、間もなく見られなくなるのは少々寂しいですね。 1985.4.9/1986.4.29 鶴橋
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@senshuliner
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6 years
下町情緒に満ち溢れていた南海天王寺線。1984年11月に今池町-天下茶屋間が区間廃止され離れ小島となった後は、両運の1524と1526の2両が閉じ込められて廃線の日まで活躍していました。 1993.3.31 天王寺-飛田本通
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@senshuliner
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5 years
スーパーくろしお色と国鉄色混色編成の「くろしお」も時折見られました。ただ、スーパーくろしお色のサロと新宮方クハの存在意義がよく分からなかったのですが・・・ 1991.5.17 鳳-富木
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@senshuliner
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3 years
3扉転換クロスシートで5枚の細い連続窓というこれまでにない車体形状で登場した近鉄5200系。初めて見た時は、特別料金を必要としない車両としては破格の豪華な車内設備に驚かされましたが、そのスタイルは後にJR近郊型車両にも引き継がれていくことになりましたね。 1988.3.13 高安検車区
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@senshuliner
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1 year
メーカーからの新製出場時だったのでしょうか。これまでの国鉄型車両のイメージを大きく変えた221系の姿を初めて見た時の衝撃は今でも忘れられません。試運転列車でしたが大阪駅停車中は新快速の表示を出しており、先代117系との新快速同士?の並びも見られました。 1989.2.4 大阪
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@senshuliner
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4 years
役目を終え、羽倉崎検車区の片隅に留置されていた南海キハ55系。在籍していたキハ5501形、キハ5551形全てが連結された8両編成は壮観ですが、最初で最後の長編成だったのかもしれませんね。 1985.3.28 羽倉崎検車区
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@senshuliner
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2 years
まだまだ103系が主力だった頃の阪和線。他区からの転入車両が入った時期は、本来の水色ではないオレンジ色の編成同士の追い抜きシーンも見られました。103系としては「異色」ですが、旧型国電時代を髣髴とさせてくれるとともに、現在のラインカラーに合ったシーンでもありましたね。 2011.10.26 上野芝
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@senshuliner
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3 years
非電化時代、高架化前の山陰本線二条駅に入線する「スーパーエクスプレスレインボー」。DD51形との組み合わせは同じ赤系統の色で結構似合っているように感じました。当時はまだ現役だった風格ある二条駅舎も今は京都鉄道博物館に移設、保存されていますね。 1988.11.11 二条
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@senshuliner
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2 years
お盆の多客時に大阪まで延長運転された臨時「やくも」。大阪から出雲市まではかなり乗り応えがあったことでしょうね。485系ボンネット「雷鳥」との貴重な並びも見られました。JRとなって約半年が経っていた頃でしたが、まだJNRマークが残っている車両もありました。 1987.8.16 大阪
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@senshuliner
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4 years
大阪ミナミの繁華街の一角で、時代に取り残されたような雰囲気を醸し出していた頃の湊町駅。平成の世になってからも、時折DD51牽引の客車列車が発着することもありました。 1992.3.25 湊町
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@senshuliner
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4 years
難波駅で故障した泉北ライナー用11000系11001Fが、30000系30001Fに導かれ難波を後にしました。かつては日常的に見られた組み合わせですが、泉北ライナー色での併結は初めてだったのではないでしょうか。 一日も早く復帰してくれるといいですね。
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@senshuliner
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6 years
羽倉崎検車区にキハ55系8連が留置されているのを発見し詰所へ。「名前と住所だけ書いといて」「気ぃ付けて撮りや」の簡単な手続きで車庫内へ入れて頂き、帰りがけには特に依頼してもいないのに「幕回したろか」と7100系の幕回しサービスまでして頂いた古き良き時代の思い出。 1985.3 羽倉崎検車区
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@senshuliner
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6 years
30000系の登場後、「臨時こうや号」として余生を送っていた頃の南海20000系。第一線は退いたものの、高野線のクイーンとしての存在感ではこの車両の右に出るものはなかったように思います。 1984.4.29 新今宮
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5 years
JR発足後間もない頃、日根野電車区に勢揃いした国鉄型車両たち。かつては国鉄型車両天国と言われた日根野区ですが、今ではほとんどが姿を消してしまいましたね。 1987.8.23 日根野電車区
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5 years
拡大された前面窓が特徴の、当時は阪和線オリジナルだった205系1000番台。2編成を併結した8両編成での快速運用は同車にとって最高の晴れ姿だったように思います。 1999.5.11 堺市-三国ヶ丘
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6 years
地上時代の阪和線南田辺-鶴ヶ丘間、名撮影地でもあった長池に自らの姿を映して走る103系。近くにあったシャープの本社ビルも今はなく、池の畔を行く阪和線とともに懐かしの風景となりました。 1992.6.25 南田辺-鶴ヶ丘
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6 years
国鉄時代、関西地区各線を彩った湘南色、阪和色、関西色の113系。平成が始まった頃、日根野電車区ではまだまだ国鉄型車両が大多数を占めていました。 1989.10.1 日根野電車区
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7 years
最後尾が切れてしまっていますが、2両+1両+3両という珍編成で上淀川橋梁を行く福知山線115系。先頭車二丁パンタというのもユニークな形態でした。 1993.4.3 新大阪-大阪
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6 years
離合する北大阪急行2000系と大阪市交通局30系。お互いそっくりな外観が特徴ですが、座席等の内装は北急2000系の方が優れていたように記憶しています。現在では考えられない非冷房車でしたが、共に高度成長期の大阪の大動脈を支えた名優と言えるのかもしれません。 1986.9.25 千里中央-桃山台
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4 years
来る2月24日は北大阪急行と御堂筋線の直通運転開始50周年記念日だそうですね。1月27日からは記念ヘッドマークも取り付けられるとのことで、今回は千里中央側と中百舌鳥側でデザインが異なるというのも楽しみです。写真は懐かしの北大阪急行2000系です。 1983.5.20 新大阪 1986.9.25 千里中央-桃山台
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2 years
バラエティ豊かなJR貨物の電気機関車がずらりと並んだ1993年の吹田機関区一般公開。数百円の入場料を支払うだけで1日ゆっくりと楽しめたこの頃が懐かしいですね。 1993.8.1 吹田機関区
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5 years
ユニークな顔付きが特徴だったクハ480形を最後尾に485系8連で阪和線を行く急行「きのくに」。1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正前日のみの過渡期運用だったようですね。 1985.3.13 富木-北信太
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6 years
急行型グリーン車を先頭車化改造の上、普通車に格下げされたユニークな外観のクハ455-600番台。座席はグリーン車当時のままだったため乗車券のみで乗車できる乗り得車両でした。 1988.10.4 西鹿児島
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3 years
再掲ですが、七尾線電化を前に福知山線で運用されていた頃の415系800番台。交直流電車独特の機器類が印象的ですね。 1991.6.19 大阪
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2 years
原形ヘッドライト、埋められることなく残存していた通風孔など、ほぼオリジナルの姿をとどめていたと思われる国鉄時代の阪和線103系。「天王寺-東岸和田」の方向幕も懐かしいですね。 1986.10.2 富木-北信太
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8 months
日根野区113系が4両編成に統一された1989年(平成元年)、不足する先頭車を確保するため各地から転入車が集結し、3色混色編成が登場したのには驚かされました。大和路線に221系が投入されたことに伴い、関西色の転入が目立っていた印象もありました。 1989.7.8 富木-北信太/鳳
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2 years
都心とゲレンデを結ぶ「シュプール号」が多数運転されていた頃、「シュプール妙高・志賀」には583系と485系を併結した長大編成の列車もありましたね。分かりにくい写真ですが、貫通幌も使用されていたようです。 1995.1.2/1994.3.23 大阪
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5 years
かつての片町線電化区間は長尾までで、長尾駅では103系電車とキハ58系等気動車との顔合わせが見られました。国鉄時代末期からJR発足当初は京阪神近郊でも非電化区間が残っており、日常の光景としてディーゼルカーが活躍していました。 1985.7.19 長尾
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2 years
JR東日本所属の485系お座敷電車「やまなみ」。珍しく京都までやって来たこともあり、原色117系との顔合わせも見られましたね。この写真を撮影した翌年の2011年に「リゾートやまどり」へと改造されたようです。 2010.5.19 京都
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6 years
今は無き片町駅に停車中の登場間もない頃の207系。傍らでは東西線の建設工事が進められており、片町線が大きく変貌し始めた頃でした。 1992.3.25 片町
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9 months
北陸新幹線金沢延伸前のJR魚津駅。大阪直通の「サンダーバード」や首都圏へのアクセスを担っていた「はくたか」、485系「北越」等在来線特急列車も多く賑やかでした。普通列車には国鉄急行型車両も健在でしたね。来年3月の敦賀延伸により北陸地区の鉄道は更に大きく変貌しそうですね。 2014.11.21 魚津
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4 years
デビューに先立ち大阪駅で展示された14系和風客車「みやび」。当時の新快速117系との並びも見られました。 車内に和風庭園を備えたサロンカーなど趣向を凝らした車両でしたが、この年の年末に悲劇的な結末を迎える事となってしまいました。 1986.3.17 大阪
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6 years
メーカーの東急車輛から搬入された後、初めて活躍の場である高野線へと歩を進める南海2000系2001F。近代的な車体に伝統のグリーン塗装がマッチしていただけに、短期間でこの塗装が見られなくなってしまったのは残念な限りです。 1990.2.10 新今宮
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2 years
大阪駅に停車中の阪和色、湘南色混色の快速網干行き。阪和・紀勢線では見慣れた阪和色も本線筋で見かけると新鮮に感じました。113系の転配が活発だった時期で、この塗装は帯の塗分け位置や色合いが異なっていたことから「偽阪和色」と呼ばれていましたね。 1989.2.11 大阪
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10 months
デビュー間もない頃の223系0番台。当初は6連と2連の陣容で、いわゆる「ブツ4」での運用も見られました。普通列車にも関空快速PRヘッドマークが取り付けられていましたが、関空快速と間違われなかったのか気になっていました。明日で関西空港は開港29周年を迎えますね。 1994.10.6 鳳-富木
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2 years
諫早駅0番線に停車中の島原鉄道キハ55形。国鉄特急型車両のような小さな赤いひげが印象的ですね。諫早駅も間もなく西九州新幹線の開業を迎えますが、今では大きく変貌していることでしょうね。 1983.3.27 諫早
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11 months
かつて大阪から徳島へは「南海四国ライン」がメインルートで、多客時には全車座席指定の「臨時四国号」も運転されていました。今は往時の賑わいは失われてしまいましたが、「好きっぷ」を利用すれば今でも貴重な鉄道連絡船の旅をコスパ良く楽しめますね。1985.8.12 岸和田 1985.8.15 和歌山港
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3 years
南海貴志川線伊太祁曽検車区に勢揃いした1201形。この時はたまたま2270系のみが運用に入っており、当時最後の活躍をしていた全ての1201形が車庫で一堂に会していました。 1995.2.25 伊太祁曽
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5 years
南海新今宮駅に停車中のキハ55系「きのくに号」。南海電鉄のターミナル難波駅から紀勢本線に直通するDC列車が走っていた時代もありました。編成中央部の橋桁付近には「DC」と書かれた停車目標も見えますね。 1983.6.19 新今宮
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4 months
今日は、北陸新幹線の敦賀開業祝賀ムード一色の一日でしたが地元泉州に引きこもり14日から運行を開始した「MOBラピート」を撮影。ゴールデンパス・エクスプレスを模したラッピングは好感が持て、36年前に来日したオリエント急行を連想させてくれました。 2024.3.16 高石/鶴原-井原里 1988.10.18 大阪
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3 years
かつて南海電鉄に在籍していた南紀直通用キハ55系。都心の巨大なターミナル駅である難波に2両編成のディーゼルカーが発着していたとは今では信じられないですね。晩年は個人所有の昔のヘッドマークを付けてみたりという事もしていましたが、ファンの数も少なく静かな最期でした。 1985.3.10 難波
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2 years
あまり目立たない存在?でしたが、一時期はJR東海にも165系改造のジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」が在籍していましたね。JR西日本管内の京阪神地区等へ乗り入れてくる機会も多かったように思います。 1990.1.27/28 大阪
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2 years
大阪と北陸方面を結んでいたL特急「雷鳥」。多客時には寝台電車583系を使用した列車もありました。昼夜を問わず活躍する583系は魅力的でしたが、シートピッチは広いとはいえ昼行使用時の固定ボックスシートには賛否が分かれたことでしょうね。 1988.5.3 大阪
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4 years
国鉄時代から続く伝統の関西地区オリジナル塗装だった113系阪和色と関西色。関西線への221系投入により余剰となった関西色が日根野区へ転属となり、4両編成化されたこともあって関西地区オリジナル塗装同士の重連運用も見られるようになりましたね。 1989.10.1 日根野電車区 1989.9.24 杉本町-浅香
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4 years
かつては近鉄特急を代表する形式だった12200系スナックカー。標識灯と行先表示が一体化された改造前のデザインは近未来的な印象で好感が持てました。一方で羽根の付いた特急マークはどこかレトロな雰囲気を醸し出していましたね。オリジナルの30000系ビスタカー共々懐かしの姿です。 1986.4.29 鶴橋
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