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公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センターの公式アカウントです。 ご意見等は、doki @maibun .comまで、お寄せください。

愛知県弥富市前ケ須町野方802−24
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4 years
木簡の釈読の際に耳にする、「浮き上がり」。墨で書かれた文字の部分が腐りにくいために起きる現象です。やがて墨が消えてしまっても、浮き彫りのようになった文字が「読めます、読めます!」。斑鳩、法起寺境内にある説明板で実体験できますよ。
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4 years
これらは弥生時代の人が銅鐸や土器に好んで描いた紋様です。 現代の私たちが見てもシンプルで洗練されており、日本手ぬぐいなどに使ってみたくなりませんか? この秋、瀬戸市にある愛知県陶磁美術館にて、特別企画展『YAYOI モダンデザイン』展を開催致します。 今、そのための準備を進めています。
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1 year
明日8月19日午前10時より、安城市東町亀塚にて、亀塚遺跡の地元説明会を開催します。駐車場はありませんので、できるだけ公共交通機関でお越しください。 一木造りの美しい竪櫛が出土しています。 弥生時代終末期から古墳時代初頭に属し、湾曲結歯式を模した逸品です!
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4 years
濃尾平野低地部では燃料材や建築材以外の木材は周辺の山間部に依存していました。朝日遺跡から木材伐採地まで直線距離で約10kmあります。山間部の人達が木を伐り出し、主要河川毎に中間地域の集落を経由して運んだと考えられます。弥生時代の初期から集落間の分業が認められるのが濃尾平野の特徴です。
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2 years
NHK大河ドラマ #どうする家康 第1回は桶狭間合戦でした。 1560年の合戦直前の尾張における織田方と今川方の勢力地図です。 この地図をみると、那古野城→戸部城→大高城と、尾張における今川方の拠点がどんどん東へ後退していることがわかります。 桶狭間合戦はこのような状況下で起こったのです。
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4 years
清洲城下町遺跡の川跡から出土した土師器皿です。九字(くじ:縦線4本と横線5本の文様)と五芒星(ごぼうせい:星形の文様)があるので、呪術に伴うモノと思われます。残念ながら何のまじないかは分かりません。
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2 years
安城市の中狭間遺跡ではまれに「ドクターイエロー休憩」があります。一瞬の通過に合わせてみんなが思い思いのカタチで眺めていますが、キラリと輝く列車に思わず崇め奉るような姿勢になっていますね。古代集落の人々もこんなふうに神を迎えたんでしょうか?#ドクターイエロー #発掘現場
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5 years
「出ましたよ、遺物が、須恵器!」 「ほんとだ、ゲコゲコ」 「いつ頃のものですかねえ?」 「奈良時代半ばくらいだと思いますよ、ゲコゲコ」 「ほぼ完形じゃないですか!」 「イイねえ、ゲコゲコ」 「撮影するので、ちょっと・・・」 「ソ、ソウカ?ゲコゲコ」 ・・・稲沢市一色城跡。
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6 months
昨年度3月に刊行した『史跡 断夫山古墳』を始めとする5冊の調査報告書がダウンロードできます。断夫山古墳の調査報告書では周濠、埴輪と須恵器に関する成果を掲載しています。ぜひご利用ください。
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2 years
古墳時代前期の西日本の古墳は前方後「円」形、東日本の古墳は前方後「方」形が主流とする説があります。一宮市西上免遺跡で発見された前方後方墳がその説の有力な根拠にもなっています。西日本は「丸」餅、東日本は「角」餅が多いことともよく似ています。歴史・文化は実に奥深い…。
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4 years
花の木古墳群・花の木遺跡では古墳の周溝内から勾玉等の玉類がまとまって出土しました。 墳丘上で行われた祭祀に伴うものと思われます。 珍しい遺物に現場では歓声が上がりました。
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2 years
鮮明な地図を貼り直しておきます。
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2 years
国史跡 断夫山古墳の発掘調査がいよいよ来月から始まります。今年度は前方部西側に調査区を設定しました。造出しの南側ということもあるので、大興奮の大発見が続くことに期待も膨らみます。
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1 year
安城市・亀塚遺跡では、弥生時代後期〜古墳時代前期の河川の跡を調査しました。川に捨てられた小型の土器が一体丸ごと出土したり、地下水が湧き出るような層なので木製品も腐らずに残っていたり、普通の遺跡では見られないようなバラエティ豊かな成果が得られました。
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5 months
昨年度に安城市の亀塚遺跡から出土した、古墳時代の初めの頃(およそ1800年前)の竪櫛について、3Dプリンターで出力したモデルを見本に、いろいろな種類の木材でレプリカを試作しています。出土した櫛は、分析結果からカヤ製でした。カヤは、きめが細かく、削っていると良い香りがしました。
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5 years
愛知県春日井市の勝川遺跡から出土した奈良時代の人形(ひとがた)です。 人々は昔から様々な伝染病を恐れ、木の板に疫病をもたらす神様の姿を描いてこれを撫でたのち、水に流すという儀式を行なっていました。 古代の人たちが人形に託した想いは、今も昔も全く変わりません。
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10 months
考古学にはルジメント=痕跡器官という用語があります。 これは元々の機能が失われても、形だけが残っているものを指します。安城市亀塚遺跡の木製竪櫛には、竹ヒゴを束ねた湾曲結歯式を模した幅1ミリ程の線刻が描かれています。これぞまさにルジメント。こういうのを見ると考古学者は異常に喜びます。
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7 months
安城市・亀塚遺跡の弥生時代後期〜古墳時代前期の河川跡の底から出土した果実です。比較として移植ゴテを写し込んでいます。以前の調査ではヒョウタンの種が出土しており、この果実も同類の可能性があります。果皮の破れからこぼれる種子は、蒔けば発芽しそうなくらいフレッシュです。
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2 years
現在調査中の清洲城下町遺跡で見つかった #清須城 の #内堀 です。 長手が南北方向で、東西方向の堀の東端にあたります。白い土嚢袋で保護した下には板を敷いた痕跡があります。 堀の東は五条川で、川との境に堤があってその南東隅を円礫で護岸しています。 明後日の午前10時から説明会を開催します。
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4 years
虹の色が7色と言われるのは、は江戸時代の終り頃に西洋から入ってきたことのようです。弥富センター前から「二重」の虹が見られました。ダブルレインボーは欧米では幸運が訪れるサインと言われています。 このコロナウイルス禍が終息しますように。
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8 months
#光る君へ には、藤原道長の妻となる源倫子の教育係として赤染衛門が出てきます。この赤染衛門の夫が大江匡衡で、国司として尾張に下向します。大江匡衡は木曽川の二之枝川(三宅川)の排水と農業用水を兼ねた人工河川を開鑿します。尾張の人々は彼の業績を讃えて、この川を大江川と名づけました。
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6 years
涙の数だけ強くなれるよ。ブルーシートを突き抜けて生える雑草のように。
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7 years
平成30年は戌年。イヌは古くからヒトとともにあり、日本列島では縄文時代早期以降、イヌの埋葬事例が見つかっています。写真は、東海市松崎遺跡の古墳時代埋葬犬です。
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1 year
名古屋城三の丸遺跡23A区の調査はひとまず終了しました。江戸時代武家屋敷の庭園遺構が検出され、上級藩士の御屋敷の様相を垣間見たのでしたが、下面の戦国期にも発見がありました。東西方向に巨大な堀があるようです。幅は10m前後でしょうか、深さは……、まだ不明です(汗)
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8 months
横から溝を掘るとは思いもよりませんでした。名古屋城三の丸遺跡で大型の溝(堀)が確認されました。近世の武家屋敷が整備される以前の戦国期の遺構です。 3月9日(土)午前11時から、地元説明会を開催します。 詳しくは、まいぶんHPでご確認ください。
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1 year
名古屋城三の丸遺跡の調査では見慣れない遺構がいくつも見つかりました。 常滑窯産の甕が天地逆で埋まり、しかも底部に穴があいてる!  そうです「水琴窟」の可能性が考えられます。江戸時代後期、石高四千石の横井家の屋敷内には庭園があったようなのです。
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1 year
名鉄新清洲駅から岐阜方面へ約800m、 廻間遺跡の発掘調査を進めています。 車窓からはあっという間の調査地ですが、 古墳時代前期と中世の遺構が見つかっています。
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2 years
写真は清洲城下町遺跡のB区の下層から発見された大溝(内堀か)から出土した漆椀、折敷、曲物、箸、板材などです。漆椀には黒色の中に朱色の鮮やかな模様がみえます。戦国時代の息吹を感じるひと時です。
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5 months
豊山町青山神明遺跡で見つかった室町時代(約600年前)の井戸の断面です。水が湧く河原石の層のさらに深い河原石の層の湧き水をねらって掘られています。清らかな水への執念が感じられます。
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4 years
豊川市花の木古墳群はいよいよ埋葬施設の調査に!埋葬の様子や副葬品に期待を膨らませながら古墳を掘り下げていくと…。長い眠りから目を覚ましたのは“王様”ではなく“殿様”でした。
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4 years
豊川市花の木遺跡の発掘調査で弥生時代中期末から後期と思われる有孔磨製石鏃が出土しました。有孔磨製石鏃は長野県に多く分布する石器で、地域間の関係をうかがうことができます。猛暑での発掘調査は大変ですが、貴重な遺物の出土には歓声も上がり、勇気100%になりました。
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4 years
異例の“大型連休”では外出自粛が求められていますが、1575年(天正3)の5月1日から長篠城では籠城戦が始まりました。この時期は“城兵”になったつもりで“籠城”を!火急の用事で“城外”に出る際は鳥居強右衛門(すねえもん)のようにお一人で!
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9 years
設楽町の笹平遺跡では岩版(がんばん)と呼ばれる縄文時代の石製の人形が出土しました。ちなみに現代の人形も出土しています。それぞれの人形に託 された思いは何だったのか、しばし考えました。 http://t.co/aERHlYvxT8
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3 months
亀塚遺跡の竪櫛について検討会を行いました。課題は幅0.5mm(拡大写真の黒い棒は0.5mmのシャーペンの芯)未満の溝をどんな工具と方法で彫ったのか?弥生時代の木工具研究者や熟練の木地師さんを招いて検討した結果、弥生時代終末期に存在した刃先の薄いナイフ状工具であれば彫れることがわかりました。
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1 year
弥生時代のパレススタイル土器の顔料に使われたとされるベンガラ(名前の由来はインドの西ベンガル地方産のものを輸入していたことによるそうです)。実際に制作した土器に彩色するために、天然のベンガラをすり潰して水で溶いたら、こんな感じでした。
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2 years
発掘調査の現場から職員詰所までが少し離れた場所にあり、移動に公道を歩く場合は、靴底に付いた泥が悩みの種となります。 公道を汚さないために工夫されたのがこの仕掛け。単管に番線を巻きつけた単純な構造ですが、効果は抜群です。
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4 years
本日は花の木古墳群・花の木遺跡の紹介です。 7号墳としている古墳では勾玉を筆頭に玉類が豊富に出土しました。中には輝くモノも… 「やとみ発見展2021」にて展示中です。ぜひお立ち寄りください。
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1 year
名城公園遺跡から出土した江戸時代の瓦を調査中です。熨斗(のし)瓦という屋根の棟に葺く瓦の凹面に、数か所に指紋がくっきりとみえます。瓦の製作時についたものですが、このようにくっきり見えるのは珍しいです。葺きあげると見えなくなる部分だと思って、ちょっと油断したのかも。
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5 years
今週から清洲城下町遺跡の調査に入っています。 調査地点は織田信雄が天正16年に大改修した後期清須城の北曲輪の北東隅にあたります。 本丸に次ぐ規模ですが、これまで調査事例が無く「謎の曲輪」とされる北曲輪。 さて、どんな発見があるでしょうか?(縄張り図は『尾張の城と城下町』より引用)
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史跡 断夫山古墳に行く道すがら、こんな所にも前方後円墳をデザインした標識が‼︎愛知県最大の古墳をさりげなく案内?
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6 months
明後日4月25日から始まる連続歴史講座「交流の考古学」。異なる地域・組織・系統の人々が行き来し様々なやり取りが行われることを、物言わぬ遺構と遺物からどう考えるか、難しいです。まずは、地域の把握から。
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3 years
豊川市「花の木古墳群」の2020年度に発掘調査において、愛知県で初めての出土となる「蛇行剣(だこうけん)」が発見されるなど、貴重な発見がありましたので、蛇行剣を含めた出土品の公開等を行います。2021年8月7日(土)午前10時からと午後1時からの2回です!
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3 years
そろそろ各地で発掘調査が始まっています。調査に入る前に行うことのひとつに。写真は2002年に調査された荒山古墳群での一場面。古墳の本体部分に着手する前に、関係者一同で手を合わせます。
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8 months
物を言わないモノから歴史を紡ぎ出すのが考古学。1つの土器からどこまでその時代の世界が語れるのか? その醍醐味が2月25日の「あいちの発掘調査2023」関連講演会にて北條芳隆先生により披露される予定です。
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1 year
まもなく清洲城下町遺跡の発掘調査が始まります。 今回は、名鉄新清洲駅徒歩0分。 駅の北側近くで行います。 車窓の風景からどのように見えるのか。 楽しみです。
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2 years
先日、清須城の内堀の東端部分を掘り上げました。江戸時代の古城絵図に残るように、堀が五条川には繋がっていませんでした。
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4 months
豊山町青山神明遺跡ではすでに10基以上の井戸が発見され、この鎌倉時代の素掘り井戸では山茶碗が4個体分出土しました。井戸を埋める際に悪いことが起きないよう、鎮め(シズメ)として埋納されたのかもしれません。
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4 months
令和7年度の正規職員の募集を行います。 どうぞよろしくお願いします。
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1 year
もうすぐ名古屋城三の丸遺跡の発掘が始まります。場所は、名古屋貯金センターがあった場所です。初めてなので緊張していますが、頑張りたいと思います。こちらの写真は、現在の三の丸遺跡の写真です。
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7 months
清須市清洲城下町遺跡(清洲橋)は今年度の調査が完了しました。前回紹介した「後期清須城」に関連する石垣ですが、4月も継続して調査することとなりました。現在は、石垣の積み方を確認するために、石垣の外側を掘削し、石垣の断面を確認しています。4月からの調査で全貌を明らかにしていきます!
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2 years
今日は七夕。ここ北区名城公園遺跡では、“天の川”ならぬ地下に埋まっていた川(古代)と、“織姫”ならぬ織物に関わる陶製の紡錘車(古墳時代)、その対岸で“彦星”ならぬ牛馬の足跡(中近世)が見つかりました。 #七夕 #愛知埋文 #埋蔵文化財
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23 days
果樹園に行くとカラス除けが吊り下げられているのを目にします。 弥生~古墳時代の鳥形木製品について、考古学者はつい祭祀に用いられたとしますが、写真の豊田市本川遺跡のように明らかに猛禽類を現している例や、水田跡から出土する例については害鳥除けの可能性もあるのではないかと考えています。
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2 months
動画は青山神明遺跡のHb区で確認できました平安時代末〜鎌倉時代初め(約800年前)の土坑の遺物出土の様子です。山茶碗や礫などが捨てられた状態を撮影しました。
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5 months
安城市・姫下遺跡、2005年度の調査で見つかった古墳時代前期〜中期(約1500〜1750年前)の竪穴建物(たてあなたてもの)跡群です。この時には十数棟もの建物跡が見つかりました。今年度は写真手前側の道路部分の発掘調査を行います。おそらく、建物跡群の続きが見つかることでしょう。ご期待ください。
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4 years
写真は岩倉城遺跡から出土した呪符木簡です。下半の「急々如律令」は決まり文句で、「この主旨を心得て、急々に、律令(=法律)のごとくに行え」という意味です。この事態が早く収まりますように。
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3 years
設楽原古戦場の織田軍布陣地最北端近く、石座(いわくら)神社遺跡で出土した5点の鉛製鉄砲玉は大溝1900SDに沿って、その外側に分布することが読み取れます。大溝は陣城遺構とする説、神社の結界とする説がありますが、大溝の移動経路としての役割も考えられています。
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@aichi_maibun
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4 months
小牧山城の主郭まで登城してきました。もとからある山の岩盤の上に石垣を構築している様子が復元されています。なかには石垣から転げ落ちた巨石もありますが、『転落石』と名付けられてその場所で保存されています。これも歴史そのままなのですね。
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1 year
史跡 断夫山古墳から出土した埴輪には、黄色っぽい色、灰色っぽい色、赤っぽい色、白っぽい色、黒っぽい色など、まさに“いろいろ”。これを並べた古墳はさぞかしカラフルだった?
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8 years
「地層は下にあるものほど古い」という地層累重の法則は、考古学では基本中の基本。車窓からみた関西本線桑名駅のプラットホームも、明治28年(西暦1895年)開業時の煉瓦積み(イギリス積みというタイプ)の上に現代の面が載っていますね。もっと複雑なものを探してみますか。
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@aichi_maibun
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8 months
1月から始まった清須市清洲城下町遺跡(清洲橋)では、調査が後半戦を迎えました。「後期清須城」の北曲輪にあたる本調査区ですが、2000年度調査時と同様な石垣の続きが検出されました。また、その上層には同時期以降の整地層が確認され、それを掘り込む形で大量の瓦を含む瓦だまりが検出されました。
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5 months
清須市朝日遺跡出土の弥生土器(約2300年前)です。よく観察すると、土器作りの一端が垣間見れます。壺の細長い首の部分を内側からのぞいてみると細く仕上げるためにひねりしぼったシワが観察できます。表面は美しく仕上げる一方で、内面は指が届かないためか粗い仕上がりです。
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@aichi_maibun
愛知県埋蔵文化財センター
3 years
1月下旬から始まった名古屋市北区の名城公園遺跡は、令和3年度調査区に関して、ようやく重機による表土掘削が終了するところまで来ました。 遺跡の中央を北西から南東に向かって流れる幅が20mを超える自然流路からは、5・6世紀代の須恵器を主体に、弥生時代から古代までの遺物が出土しています。
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5 months
新緑の季節にひときわ深い緑が映える一宮市大毛池田(おおけいけだ)遺跡出土の緑釉陶器(りょくゆうとうき)を。グリーンに発色する釉(うわぐすり)をかけた陶器の椀で、平安時代の猿投窯(さなげよう)で焼かれたワンダフルな一品です。
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@aichi_maibun
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2 years
あいち朝日遺跡ミュージアムで開催中の「あいちの発掘調査2022」の目玉は、豊橋市の国史跡馬越長火塚古墳から出土した金銅装馬具です。古墳時代後期の馬具としては日本列島でも屈指の優品で、国の重要文化財に指定されています。 尾張地区では、この機会を逃すと当分は観ることができない逸品ですよ。
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@aichi_maibun
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2 years
名古屋市北区の名城公園遺跡では、古墳時代の河道跡から多量の須恵器や土師器が出土中です。破片も含まれることから、河川に捨てられたものと思われます。時期は5世紀後葉〜6世紀初頭でまとまっており、当時の川岸の位置がこれでわかる、というものです。
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@aichi_maibun
愛知県埋蔵文化財センター
2 years
名古屋市・名城公園遺跡の発掘調査は本日終了です。写真は調査区中央で南北に流れる河道跡を深く掘って断面を観察している場面です。このような深掘りを行うと調査の終わりだと感じます。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
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2 months
名古屋市北区の名城公園遺跡で出土した飛鳥時代(7世紀)の土師器甕(かめ)です。全体に煤だらけでずいぶん使い込んでいますね。そして丸い底の方をよく見ると、大きく「X」が付けられています(矢印のところ)。もちろん焼く前なんですが、何かの印なのか?謎のマークに興味津々ですね。
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愛知県埋蔵文化財センター
1 year
安城市中狭間遺跡です。今回の調査区(23A区)は昨年度調査区の隣接地で、方形周溝墓1基、土器棺墓数基が検出されています。画像は弥生時代中期の土器棺墓で、太頸壺を棺身とし、細首壺を蓋としている様です。
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@aichi_maibun
愛知県埋蔵文化財センター
9 months
名古屋城三の丸遺跡の調査を1月から再開しています。B区は建物があった場所の下、ずいぶん深いところからの調査スタートです。尾張藩家老職を勤めた渡辺家の屋敷地では井戸が多数見つかっています。井戸として使われなくなった穴の土からは陶器片だけでなくサザエや蛤やアサリやらの貝殻や鳥の骨やら。
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愛知県埋蔵文化財センター
2 years
「この住居跡は広いね〜、7世紀のものらしいけど」 「そう、大型竪穴建物跡といって、東西約8.1m、南北約8.6mで面積は約70㎡もあるんですよ、古墳時代の通常の3倍の広さ!」 「おお〜、駅から5分で建築面積だけでも21坪ですか!こりゃ好物件だわ」 ※名城公園遺跡は地下鉄の駅から5分です。#愛知
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愛知県埋蔵文化財センター
4 years
名古屋のシンボル、名古屋城の「金の鯱」。清州城下町遺跡の発掘調査で確認された清須城本丸東辺の内堀でも金箔が残る鯱瓦が出土しています。こちらは天正13年の大地震後、織田信雄によって大改修された清須城本丸にあった「金の鯱」です。
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愛知県埋蔵文化財センター
4 months
青山神明遺跡Ba区では表土掘削を実施中です。この仕事に就いて20年以上たっても、発掘調査の最初に行う表土掘削に際しては、「掘りすぎていないか、掘り足りないのではないか?」と今でも変わらない緊張感があります。無事に遺構が検出され始めると、ほっとします。
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愛知県埋蔵文化財センター
3 years
皆様、ご存じでしたか? 愛知埋文のホームページで、遺物実測図の検索が可能になりました。 実測図は、遺物の観察結果が図化されているものですので、必ずしも残存状況を反映しているものではありません。なので、写真があるものは、写真へのリンクもついています。 どうぞご活用ください。
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愛知県埋蔵文化財センター
3 years
今日は7月12日。考古学的にはナイフ形石器の日!HPの遺跡アルバムには岡崎市西牧野遺跡出土のナイフ形石器を写真だけでなく、実測図を表示することもできる便利な機能が!ナイフ形石器で検索!
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愛知県埋蔵文化財センター
2 years
名城公園遺跡では、現在、古墳時代後期の遺構面を中心に調査を進めています。台地下の低地部の堆積は複雑で、古墳時代後期の面を精査しているつもりでも、ところどころで、より古い時代の遺物が顔をだします。写真の土器群は、パレス壺やS字甕、ミニチュア土器などがあり、古墳時代初頭と思われます。
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3 years
名古屋市北区の名城公園遺跡の発掘調査が始まりました。この場所は、もと尾張藩の広大な下御深井御庭があったところで、名古屋城北側の沖積低地にあたります。北から見上げる城の石垣や西北隅櫓(別名:御深井丸戌亥隅櫓、清洲櫓)はその高低差をよく示しています。
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9 months
岐阜県土岐市美濃陶磁歴史館で『挑戦!重要文化財を2,000点並べてみる』という企画展を観てきました。黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部を焼いたことで有名な元屋敷窯の国指定重要文化財約2000点を並べるという凄い展覧会。 破片だけではなく完形品も多く、桃山陶器が好きな方には必見です! 会期は3/31まで。
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愛知県埋蔵文化財センター
7 years
トヨタ産業技術記念館で開催中の『千年の甍 古代瓦を葺く』展に行ってきました。古代瓦を粘土からどのように成形するのか、できた瓦をどのように葺くのか、再現された道具類を間近で見ることができるいい機会でした!
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愛知県埋蔵文化財センター
3 years
名古屋市北区名城公園遺跡で出土した江戸時代の遺物群。その中に鹿の角が混ざっています。釣り針を製作する途中の素材ではと期待しましたが、取り上げて見るとなんと陶器。焼き物でした。精巧に作られているのに驚きます。
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4 years
安城市、亀塚遺跡。発掘調査が完了しました。今回は、弥生時代中期後葉から後期の集落遺構(竪穴建物跡や土坑)のほか、多量の土器を捨てた河川の跡などが検出されました。現在、図面や写真の整理中です。それでは最後に、A・B調査区と「ドクターイエロー」とのツーショットを。
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愛知県埋蔵文化財センター
4 years
豊川市花の木古墳群の3・5・6・7号墳の4基の古墳はこれまで円墳と思われていましたが、発掘調査の結果、どれも方形であることが分かりました。真上から見ると丸見えです。いやいや、この場合、“丸見え”ではなく“角見え”?
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3 years
暮れなずむ名古屋市北区の名城公園遺跡の風景です。調査はこれから本格化していきますが、毎日名古屋城と金シャチに見守られながら調査を進めています。
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1 year
東海地域で一般的な中世の陶器、山茶碗。その底部は凸凹ですが、よく見ると高台の凸凹は籾殻の形となっています。焼く前の柔らかい粘土の段階で籾殻を敷いた上に置いたためにそれが付着、そのまま焼かれて籾殻そのものは焼失したためです。貴方はいくつ籾殻痕を発見できますか?【名城公園遺跡出土】
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愛知県埋蔵文化財センター
2 years
清洲城下町遺跡で出土した志野の皿の底に鉄釉で描かれた蔦(つた)の模様です。戦国時代の終わり頃に描かれたこの蔦は、ブドウ科の蔓性植物で、何となく洒落た感じがします
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8 months
2020年秋の愛知県陶磁美術館企画展YAYOI・モダンデザイン展を覚えておられますか? その際、コロナ禍のために実現できなかった幻の企画「弥生王族の衣装を着よう」が、あいち朝日遺跡ミュージアムで3月2日に開催される『体験!弥生ムラ』で復活します。 受付は当日会場にて。
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愛知県埋蔵文化財センター
4 months
名古屋市東区の西二葉町遺跡では、敷地南側の最も広い調査区での調査を実施しています。表土下では、大きな建物基礎が出てきました。これまでの学校図面と照らし合わせると、名古屋帝国大学時代の学生食堂舎の可能性が考えられます。現在は、江戸時代の調査へと進んでいます。
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愛知県埋蔵文化財センター
1 year
名古屋市北区、名城公園遺跡出土の古墳時代須恵器を接合中。須恵器といえば灰色、グレーな感じの印象が強いですが、この甕は橙色ですね。橙色で丸い、ハロウィンのかぼちゃとちょうど重なってくるので、月末までこうして見学の方をお迎えしております。#ハロウィン
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愛知県埋蔵文化財センター
1 year
「美濃」施印須恵器は、76遺跡から出土(渡辺博人2020年集成より)。この須恵器が使われた時期は霊亀2(716)年笠朝臣麻呂が美濃国守と尾張国守を兼任していた期間と重なります。尾張国庁域の一角にある稲沢市北丹波・東流遺跡は「美濃」施印須恵器が6点出土し、笠朝臣麻呂との関連性が注目されます。
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4 years
稲沢市、一色城跡です。発掘調査はいよいよ最終局面に。調査区の西端で、一色城跡の西堀(幅約8m)を検出しました。戦国時代の陶器などが出土しています。昨年度の東堀から西へ84mの地点。尾張平野には多数の平地城館があったとされますが、実際に発掘調査で堀が確認できた数少ない事例です。
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9 months
地表を掘り下げてつくった建物を以前は「竪穴住居」としていましたが、住居以外に多様な建物があることから、最近は「掘立柱建物」と同様に「竪穴建物」としています。当センターの調査報告書でも文化庁の「てびき」刊行(2010年)後は「竪穴建物」を使用しています。
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1 year
最初の調査区は決して広くは��いのですが…、まもなく名古屋城三の丸遺跡の調査が始まります。すぐ南側には本町門跡、そして明治四十四年七月とある本町橋。この下を1976年まで名鉄・瀬戸線が通っていたなんて!瀬戸から陶磁器が堀川駅まで運ばれていたなんて!
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29 days
断夫山古墳(名古屋市熱田区)の発掘調査で出土した須恵器。年代は5世紀終わりから6世紀初めと考えられます。ごくわずかな破片ですが、古墳の時期を考えるための貴重な資料になっています。
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2 years
田植えの終わった新城市四谷の千枚田です。 昨年度大崎遺跡で見つかった中近世の水田跡。 引き続き今年度の調査がまもなく始まります。
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4 months
本日、豊山町青山神明遺跡では、掘りあがった遺構の全体の状況を空中撮影します。遺跡にとってはある意味「晴れの舞台」ですから、前日から撮影に向けて「おめかし」(清掃)をしていきます。
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1 year
名古屋城三の丸遺跡の発掘調査が始まり、現在はAa区を調査しています。先日廃棄土坑が見つかり遺構検出状況の撮影も行いました。他にも磁器盃、丸碗、徳利、鉄製品などが見つかっています。 今日の名古屋城です。風がないため水面に綺麗に映っていますね。
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5 years
見事なV字形の堀の断面。 さすがにここに落ちたら身動きが取りにくそうです。 織田信長が居た頃の那古野城には、こうした堀で囲まれた武家屋敷がいくつかあったようです。 詳しくは11月後半の名古屋市博へGO!
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9 months
清須市清洲城下町遺跡(清洲橋)の発掘調査が1月より開始しました。現在、表土掘削が完了した段階ですが、すでに瓦を中心に遺物が出土しています。今回の調査区は、2000年調査区(00B区)の北側に隣接し櫓状建物の石垣が検出された場所になります。今回の調査でも石垣の続きが検出される可能性があります。
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1 year
名古屋市北区、名城公園遺跡の遺物整理では、名古屋城下御深井御庭(したおふけおにわ)関連の遺物を検討中。21Ba区の土坑220SKでは、庭園関連の植木鉢・瓦などと御庭焼関連の棚板・匣鉢などが混在して出土しています。ということは、御茶屋を含む庭園と窯の廃絶が同時だったと考えられます。
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2 years
名古屋市北区名城公園遺跡で見つかった古墳時代後期〜終末期の竪穴建物では炭化した木材が出土しています。これらの炭化材は残りが良く、建物に使われた木材や植物(竹・葦か)が組み合わされている状況がよくわかります。
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3 years
名古屋市北区、名城公園遺跡での第2回全景撮影です。遺跡の中央を横切る旧河道と、その西側に広がる古墳時代中〜後期の主に竪穴建物で構成される集落が焦点になっています。さらに集落の南西側にはおおよその端になるとみられる溝が見つかっています。川に沿った細長い微高地上に立地しています。
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