みろく沢炭砿資料館 Profile Banner
みろく沢炭砿資料館 Profile
みろく沢炭砿資料館

@MirokuZe40335

Followers
932
Following
892
Media
466
Statuses
651

いわき市内郷白水町(弥勒沢)は、常磐炭田発祥の地であり、歴史が詰まった場所です。弥勒沢を訪れ、体験して炭鉱の歴史を学んでみませんか。#常磐炭鉱 #みろく沢炭砿資料館 #常磐炭田 #石炭 #片寄平蔵 #加納作平 #湯本 #湯長谷藩 #いわき市 #弥勒沢 #鉱山 #渋沢栄一 #浅野総一郎 #産業革命 #フラガール

福島県いわき市内郷白水町広畑223
Joined June 2023
Don't wanna be here? Send us removal request.
Explore trending content on Musk Viewer
Pinned Tweet
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
旅番組に紹介されました 栃木テレビ u字工事の旅発見 内郷199編です
Tweet media one
7
24
224
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
常磐炭砿通勤用ガソリンカー 昭和27年11月12日開通、主に川平坑の鉱員が同系列の綴坑や住吉坑にと、また従業員家族の足代わりとなって、機関車通行の合間をみて走り続けた。ツートンカラーのスマートなスタイルで、時折りプーと警笛を鳴らし、沢伝いに走った。 写真は浜井場にある常磐製作所脇の車庫
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
3
62
246
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
磐城炭砿(株)内郷砿高坂坑 後の住吉一坑 高坂抗の坑口は立派であった 峰根第三斜坑の抗口と同型の造りで、堂々とした大ヤマにふさわしい構えであった 白黒写真は炭車が本線坑道を上って坑外に出たところ 磐城炭砿では、昭和11年1月、御殿山の住吉坑を住吉本坑と読び、この高坂坑を住吉一坑と読んだ
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
35
190
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
デレスケ油 炭砿の言葉で、炭車の車軸に補給するオイルのこと 「でれすけ」の意味は? 主に、福島県、茨城県、千葉県、栃木県、他などで、方言として使われていた。
Tweet media one
Tweet media two
5
33
167
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
住吉の内郷中央選炭工場 ここの選炭場には住吉一坑、同ニ坑、同本坑、後には綴坑からの出炭が坑内を通じて集中し、大量の石炭が選炭された所です。
Tweet media one
Tweet media two
0
18
155
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
長〜ぃ時間掛かった問題解決かな? みろく沢炭砿資料はマイナスからスタート みろく沢炭砿資料館を維持するの大変だが、楽しそう。ワクワクドキドキ💓だね。 皆さんと一緒に常磐炭田の歴史と日本の近代化に貢献した常磐炭田発祥の地を今後とも宜しく応援お願いします。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
24
152
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
平成元年11月3日「みろく沢炭砿資料館」も今日で34才になりました。 始めた頃は、玄関に道具など展示していたが養鶏を辞めた時に鶏舎を改築して資料館にし皆さんをお迎え出来るようになりました。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
26
146
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
内郷市商工観光案内板 昭和35年(1960)頃の写真 内郷駅前広場の西側に立っていた当時の看板写真 また、隅々まで見ると忘れかけた懐かしい店の屋号や店主の横顔まで思い出される 昭和41年10月1日、5市4町5村が合併して、「いわき市」が誕生
Tweet media one
2
22
142
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
ゴールデンウィーク中、たくさんの皆様にご来館いただき、心より感謝申し上げます。 みろく沢炭砿資料館も、幅広い年齢層の方々で賑わいました。素晴らしい天気の中、皆様をお迎えできたことを嬉しく思います。今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
16
138
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
8 months
炭礦への思いが一杯詰まっています。 常磐炭田史研究会 平成18年10月31日発行
Tweet media one
2
16
134
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
選炭婦とおか番(坑外夫)の人達 昭和34年頃の写真 坑内より炭車で揚がって来た石炭は、選炭場にあけられ、さらに選炭婦の手によって良否の選別を受けポケット内に貯炭される 坑外夫の人達は、満載に近いポケットから順に貨車積作業わ行い、運送される迄の行程を受け持つ
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
22
132
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
いわきの洗い越し 右手高台に白水小学校がある。今は生徒は居ないが私が小学校に入学した頃は学年2クラスから3クラスあり賑わっていた。 白水小学校の歴史 明治30年1月に京都大谷派東本願寺によって内郷村大字白水字川平の炭鉱納屋の一部を借り、20余人の児童で創立された 続く↓
Tweet media one
Tweet media two
1
17
126
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
石炭のガンガン焚き ガンガンとは、お菓子の缶をボタ打ちの尖った先端で風穴を沢山開る、ガンガンを表に出すと、杉葉や紙・ワラなどその上に薪を乗せ、燃やしその上に石炭を山盛りに積み、煙突を乗せる。白い煙が黒煙に変わり石炭がどんどん燃える、やがて炎が小さくなると、煙突を取り家の中に入れる
1
18
130
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
「朝の早よからょ〜ぉカンテラ提げてない」 から、炭砿の娘が本格的な踊りフラダンスを見せる華やかな印象を打ち出した。
Tweet media one
2
26
128
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
力強い選炭婦と坑外夫 順調な坑内への空車廻送も、坑内で使う抗木や資材の送込み、みなこの人達の懸命な作業のお陰である それぞれ各職場の受け持ちが順調に達成された時、出炭率も向上して炭砿は発展の道を進む この人達が生活の為、一生懸命に働いた事で、今のいわき市発展の一端を担ったのである
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
18
128
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
アカマリの意味 温度・湿度の高い坑内で激しい労働を行った時に陥る熱中症 常磐炭砿東部坑で働いていた方が、「思い出が詰まった資料館だ」と喜んで見学していました 写真を見て「よく水風呂に入っていたよ、先山の人に、いつまで入っているんだ!と怒られたもんだ」と懐かしんでいました
Tweet media one
Tweet media two
1
14
125
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
昭和10年頃の内郷(綴)駅 昔は日本鉄道磐城線綴駅停車場と言った。 白水の入山専用線、宮の町田専用線、好間炭砿からの専用線等が内郷駅に連り帆船輸送から高速鉄道輸送時代に変わって行った。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
1
16
125
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
4 months
いわき市には、県内唯一の国宝白水阿弥陀堂があり、文化財の名所とした郷土の宝で あります。 いわき市には、もう一つ石炭の特産地として繁盛し、今日いわき市の発展を築い た石炭産業の源である内郷白水町みろく沢は、「石炭発祥の地」とした歴史 があり、この二つの宝を郷土の誇りとしたいものです
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
20
125
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
山神祭 4月14.15.16日は炭砿の山神祭 一山一家上げての祭り、ヤマ(炭砿)の人達は、花と共に心は浮き立った わっしょい❣️ワッショイ❣️
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
13
121
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
白水炭鉱共立病院 昭和23年白水の沢に病院が出来た
Tweet media one
2
17
120
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
坑内での作業、当時は託児所は無かった 若い夫婦の坑内作業は、切端の脇に乳幼児を木箱に入れての共働きで、赤ちゃんの鼻をネズミに噛まれる事故が発生、以来底の浅いザルの篭に赤ちゃんや弁当を入れて坑内の天井に吊るして作業してた、今では想像も出来ない労働環境です。弁当もネズミの被害があった
Tweet media one
1
22
119
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
只今、ご来館された方に記念品を差し上げています。
Tweet media one
1
17
120
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
貨車積作業 主に選炭婦の掛け持ちが多かった。石炭の出し口押さえのハンドル金具を横に持ち上げると、ポケットのベロを下に倒し、横板を上げると詰まっていた石炭が勢いよく、音を立てて貨車内に落下する。石炭の埃と、ガラガラという音は凄まじく、集落一帯に響きわたる。
Tweet media one
Tweet media two
0
19
117
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
昭和35年頃の写真 貨車が10台も奥まで入り各所で貨車積作業が行われている 見るからに当鉱の盛況時風景である 奥には、抗口が小さく黒く写ってる、それより上がって来た炭車は選炭場の上を通って右側選炭場にあけられた。 三坑下橋辺りが、今の炭砿資料館の入り口になる
Tweet media one
Tweet media two
0
20
114
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
無事完成❣️ ホットしました 石炭を下ろす扉は見やすく
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
16
116
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
4 months
みろく沢炭砿資料館から国宝白水阿弥陀堂へ 「石炭(スミ)の道」遊歩道 鳥のさえずりと緑豊かな森が迎えてくれる遊歩道。歴史を感じながら、新緑とマイナスイオンとフィトンチッドを浴びながら歩くのは、とても気持ちがいいものです。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
16
118
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
令和6年1月30日火曜日 京都新聞夕刊紙に掲載されました ありがとうございます
Tweet media one
0
13
114
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
湯の岳に熊林がある、確かにクマの形に見える林だ 昭和39年2月撮影
Tweet media one
3
10
115
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
明けましておめでとう御座います いつも応援してくれてありがとうございます 皆様のご多幸とご健康をお祈りいたします 令和5年度みろく沢炭砿資料館来館者 来館者ノート記載のみ グループ796 来館者1657人 記入されて無い方もいますので、もっと多くの方が訪れています
Tweet media one
1
8
112
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
写真右より弥勒沢入口には、綴伊東炭砿山神祭の旗が立っている。レールを前にした建物は、選炭場と万石、川の左側は、三坑下の家並み 昭和32年4月の山神祭写真
Tweet media one
2
13
112
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
腕を磨く穴くり練習跡 鑿岩機が使われる迄は、発破採炭の火薬を詰める深さは約1m 1人前の坑夫は、穴くりも、ハッパも、上手なことが条件だから、半人前の坑夫達は、家に帰ってから、近くの岩場でセット(たがね)を手に握って廻しながら、ハンマーで叩いて穴くりの練習をしていた。
Tweet media one
0
13
111
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
選炭作業 2列に並んだ選炭作業、前列の人が傾斜したスクリーン上の石炭を、ガン爪で手前に掻き崩すと、粉炭はスクリーンの網下に落ちる。スクリーン上の塊炭は選炭婦のボタ打ちに依って付着している粗炭が取除かれ股間を通して後列に送られる 後列の人は塊炭をさらに精選して貨車積みされるポケットへ
Tweet media one
Tweet media two
1
16
109
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
先程、常磐炭砿東部坑で働いていた方が家族で見学に来ました。思い出が詰まった資料館だと喜んで見学していました。写真を見て「よく水風呂に入っていたよ、先山の人に、いつまで入っているんだ!と怒られたもんだ」と懐かしく語ってくれました。
Tweet media one
Tweet media two
0
14
109
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
乗回しとは?「炭車、トロッコ」の車掌さん 別名、棹取り・函呉れとも言った 足元の膨らんだニッカスズボンを履き、真新しい手拭いを長く四つに折重ね、それを頭に結び、その端を額の上に立てて、ポイント替しの長い鈎の付いたカンテラにピカピカと磨きあげたテリカヘシ(反射板)を付けそれを炭車に↓
Tweet media one
Tweet media two
2
14
109
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
山の神 炭鉱や鉱山で祀っている神様 祭神は「大山祇命」(オオヤマズミノミコト)で祀っている 金属鉱山は「金山彦命」(カナヤマヒコノミコト)の所もあります。 炭砿の山神祭は4月 13日・14日・15日でした 赤の祠は、お稲荷様です
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
10
107
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
「炭鉱」「炭礦」「炭砿」「炭坑」など、いろんな表記があるけど、「炭鉱」が基本。でも、石炭は金属じゃないから、「礦」や「砿」も使われることがある。初期の「炭坑」は手堀の場所で使われてた、規模が大きくなると「炭礦」「炭砿」を使用する事になったと前館長の話し みろく沢炭砿資料館
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
10
108
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
弥勒沢入口にあった抗口 昭和8年3月、入山採炭では五十嵐炭砿の欣先掘として入山新三坑を開鉱した 川向いの、入山三坑からの採掘が出来ない箇所を、この抗口から採炭を始め同20年頃終わったが、後に矢ノ倉炭砿新三坑として本線坑道を仕操し上層炭や下層炭の採掘が行われた。
Tweet media one
Tweet media two
1
18
106
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
弥勒沢の弥勒堂 昭和14年5月節句 弥勒堂は、写真の中央で石段上の所に御堂が建っている この場所は丁度三友の高台の出鼻の様な所に建てられていた 左側は当時の矢郷磐城神奈川炭鉱の社宅で屋根には菖蒲やヨモギなどが一緒に節句の飾がなされている 中央手前はコンプレッサー小屋と鍛冶屋、右は巻き場
Tweet media one
0
8
107
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
岡田炭鉱瀧乃沢坑2 石炭の層も少し上り勾配位になっていたから、坑外への石炭搬出も楽であり、また自然排水も利用できて、採掘には好条件に恵まれ、大繁盛したところである。写真、左より積荷の重い炭車2函が下がってくる下方の軽い空車は上がっていく↓に続く
Tweet media one
1
7
106
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
今日の見学者は、ドイツ🇩🇪ベルリンから
Tweet media one
0
8
106
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
8 months
ただいま、みろく沢と三坑下銀座の架け橋が久しぶりに帰って来ました。 9月8日の白水川(新川)の氾濫で浜井場まで小旅行に、片寄平蔵翁の逆でみろく沢袂から白水川〜新川〜夏井川に下り途中で河岸で一休み
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
1
8
99
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
「みろく沢石炭(スミ)の道」 夕張市の学芸員の方を送りながらのスミの道、(たんがら)(やせうま)の休憩場所付近の見事な逆さ藤 石炭等を入れて運ぶ「たんがら」 ジャガイモ等も入れて運びました。 右端写真は、カマス、薪等を運ぶ「やせ馬」 病人も乗せて病院まで運んでたらしい
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
15
105
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
8 months
不動沢 露頭の石炭 ここには、まだ石炭が有る
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
11
105
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
炭砿住宅(炭住) 第二高倉山頂から見た白水町川平住宅1954年頃の写真 白い屋根は職員長屋でニ戸住まい、黒い屋根は紙屋根にコールタールを塗った鉱員の長屋六戸住まい、右側の長屋は八戸住まいで新長屋と呼ばれた。50棟以上の軒並であるから1000名以上の人達が居住していたことになる
Tweet media one
Tweet media two
1
14
103
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
矢乃倉炭砿 みろく沢入口付近に有り当所で1番長期に渡って炭砿経営した人は「矢郷倉蔵」であった、氏は大正9年25才で当所内の三友に来礦し大正15年に買収し弥生三友炭砿と称し経営する。 現在は、新川(白水川)沿いのバス通りから、貨車が待機��所が、みろく沢炭砿資料館への入り口になっています。
Tweet media one
Tweet media two
0
17
102
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
この度、炭砿資料館を残す為、募金箱を設置いたしました。 炭砿資料館は、かつてこの地域で栄えた炭鉱の歴史を語り継ぐ大切な場所です。 そこで、皆さまのご協力をいただき、資料館を残すための資金を募集させていただきたく存じます。 皆さまからのご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。
Tweet media one
0
39
102
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
薪ストーブの香りが漂よう弥勒沢 菜の花も咲き乱れ 口福な、菜の花の一品料理 弥勒沢の自然がリラクセーションを満喫出来る
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
8
101
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
坑内運搬坑道 採炭切羽より積まれた実ドロは、手押しで片磐坑道捲き立て実ドロ線に入れる。空車が無ければ、坑内の乗り廻しが空車を入れるまで待つしかなく、これは稼ぎ高の低下につながった。
Tweet media one
1
14
102
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
立石平 明治時代の頃 1868〜1910 ここは石炭発祥地の近く この付近一帯は、立石平と呼ばれていた この山頂には切り立った岩があることから生まれた地名と思われる この下には本線捲場がある ここまで捲き揚げられたズリ・ドロは、右端に写ってるズリ捲きにより山の上部まで捨てられた。写真は昭和29年
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
15
100
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
白水川の氾濫 昭和33年頃、寿炭砿の下長屋、昔は残念長屋とも呼ばれていた。この場所は昔から水害を受けいた、大正11年2月15日より降り出した雨69.9mmと記録され未曾有の水害に及んだ。トンネル前の鉄橋には、流出した家や木橋、材木が折り重なって氾濫した水はトンネルを本流の様に流れた
Tweet media one
Tweet media two
0
10
99
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
4 months
三���炭鉱株式会社綴坑 明治30年(1897)4月に、松本孫右衛門、山崎藤太郎、加納五郎、諸氏等によって、不動沢抗、広畑抗、栃窪坑、の姉妹坑、当地より東方に約1.5キロメートル離れた、綴町大神田方面の山合いの所(常磐製作所裏)に明治41年6月、綴第一竪坑と第二竪坑(通気用)の開削に着手した
Tweet media one
Tweet media two
0
18
102
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
道具 道具写真左側 カッツア(掻砂) カキイタ(掻板) 炭層から石炭を掻き出したり枕木を埋め込む為地盤を掘削する為の用具 選炭の道具 道具写真右側 ガンヅメ(雁爪) 熊手の様な4本爪で、手前に掻き寄せる道具
Tweet media one
Tweet media two
0
21
98
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
みろく沢炭砿資料館は養鶏場を改造 父は、昭和32年に新しく家を建てた、これから稼ぐと気合いを入れた直後に、炭砿にスクラップ&ビルド政策が始まった次々と周りの炭砿は閉山された、その時考えたのは炭砿の勤務時間は三交代制だった、一番方は朝の6時〜14時まで二番方は14時〜22時、三番方は22時〜6時
Tweet media one
Tweet media two
2
9
100
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
みろく沢の訪問者 バリバリの還暦
Tweet media one
Tweet media two
1
7
96
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
明治41年(1908)の入山採炭(株)第三坑のポケットと 昭和47年(1972)同位置から三坑下の家並写真 常磐炭田石炭発祥地の玄関だけあって、ポケットの並びは当時常磐炭田一であって大変壮観な眺めです。前の山中に「みろく沢炭砿資料館」がある
Tweet media one
Tweet media two
0
12
97
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
みろく沢初冠雪 坂道がアイスバーンになっています 急な坂道と日陰の場所が多いので無理をしないで下さい
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
10
99
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
発破に使う火薬の取り扱い標語 全てに当てはまりますネ
Tweet media one
0
19
98
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
矢ノ倉炭砿 相撲大会とお神輿行列 昭和31年4月14、15日の写真 祭典行事の中に、相撲や活動写真(野外映画)、のど自慢大会等があった 大きなヤマでは歌舞伎芝居、神楽、飾り物、山車等が開催され、今日はどこへ見に行こうかと迷ったものだったが、当鉱の子供相撲大会が面白かった
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
1
12
98
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
国宝白水阿弥陀堂橋を渡った駐車場入口過ぎた左手にあります。
Tweet media one
1
17
97
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
ハーモニカ長屋 ハーモニカの穴の様に一棟に何軒もある炭砿住宅(炭住) 白い長屋は瓦葺き職員住宅で2戸住い 黒い家根は、紙屋根(ルーフィング)にコールタールを塗った鉱員の長屋6戸住いと8戸住いの新長屋 左写真は、川平坑住宅 右写真は、小野田炭砿
Tweet media one
Tweet media two
0
10
96
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
矢郷社長 社長は、神奈川県生まれで社名は矢郷磐城神奈川炭砿と故郷の県名を飾る 勤続年数の長い順から毎年30人位ずつ2泊3日の招待旅行、神奈川県の大山祇神社と石尊阿夫利神社に安全祈願。 それから箱根、芦ノ湖、十国峠、熱海と想い出沢山の3日間の夢をくれた慰安旅行となった
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
1
9
96
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
今日の、課外授業は東京都の中学校。バス3台 スタンバイok
Tweet media one
2
1
95
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
朝日新聞令和5年12月4日の新聞 応援して頂きありがとうございます。 励みになり嬉しく思っています。
Tweet media one
Tweet media two
0
15
95
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
矢ノ倉炭砿 山神祭 昭和31年4月14日の写真 ヤマ(炭鉱)の生活で、誰でも一番の楽しみとして心待ちにしていたのは、何といっても、山神様のお祭りである。 この時季は、ちょうど桜も咲く4月の14、15、16日は楽しみの多い三日間の祭日でした
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
1
14
94
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
炭砿かべ新聞No.5 昭和25年2月10日 平石炭労務課
Tweet media one
0
9
94
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
加納作平の碑 炭(スミ)の道
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
12
95
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
炭火アイロン 明治時代~昭和20年代 明治時代に洋装化にともなって日本に入って来ました。上面が蓋になって開閉でき中に炭火を入れて、その熱で布などのシワ、縫い目を伸ばし折り目を付ける道具です。蓋にはガス抜きの煙突と握り手がついています。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
3
11
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
常磐炭田の石炭は3500万年前の地層 石炭は、炭素の濃度に応じて異なる種類に分類されます。高い炭素濃度を持つものから順に、無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭、亜炭、そして泥炭というカテゴリに分けられます。日本では、一般的に石炭と呼ばれるものは、無煙炭から褐炭までの範囲に含まれます。
Tweet media one
Tweet media two
0
18
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
車票 矢ノ倉炭砿で使用した車票。石炭発送主から荷受人への宛先を書いた貨車の荷札、これが貨車の両側に差し込まれて行先が決まる。石炭を乗せた貨車は遠い街まで届けてまた帰って来る。 その空貨車の中に、時々色々なお土産が入って来る時がある。乳離れしたばかりの犬や猫も中に捨てられいた
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
20
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
昭和31年4月14日の弥勒沢 矢郷社長宅前で山神社の祭り、御神輿と威勢の良い子供達の掛声と祭り花火の音が、この山間の里の隅々まで響き渡って行った。 左の写真左手中辺りに岡田炭砿瀧之沢坑があった、右の写真は明治35年頃の滝山、岡田炭砿瀧之沢坑
Tweet media one
Tweet media two
0
8
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
弥勒沢堂と加納作平の碑 案内看板が経年劣化が進み修繕が出来無くなりました。 新しく案内看板を製作中です 辰年ですので竜の乗り廻しさんを採用しました どの様に、完成するか楽しみです
Tweet media one
Tweet media two
0
15
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
ここ3日間は、資料館周辺の草刈り作業。 スッキリ爽やかになりました。今日は大雨、身体を休める良い日です。 朝風呂に入ってのんびりしています。 朝風呂上がりに、本日15時ころの課外研修で来館予約が入りました。 お待ちしてます♪
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
5
93
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
切羽(きりは)での作業 はじめの頃は、地下の坑道に入り採炭するも掘った石炭を籠や箱に入れて外に運び出す仕事を1人の採炭夫が行っていた。やがて採炭夫は石炭を掘る事に専念し、石炭を運ぶ仕事は別な人が受け持つようになった。石炭を掘る人を「先山」石炭を運ぶ人を「後山」と言いました。
Tweet media one
1
7
92
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
袋詰常洋炭の販売 昭和30年代の後半から、エネルギー革命の時代が深刻にやって来た 産業界は、石炭から石油にと切り替えを始め、石炭産業の斜陽化の道を速める事になった 石炭の売れ行きが不振となった為、販売を広げようと袋詰炭の小売も始めたが、余り売れないで終ってしまった
Tweet media one
0
17
90
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
The place I go home ノスタルジーを感じる故郷 みろく沢炭砿資料館
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
11
91
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
資料館見学に来られる方に白水で取れた石炭を記念に差し上げています。 11月は学校から見学予約が入っていますので、今日は記念品作りと、大型バス🚌が入って来ますので、道路にはみ出た木の剪定
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
17
90
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
1 year
今日の見学グループ いわき市の中学生 課外授業 ガンガァン焚き火 模擬坑で石炭の説明 片寄平蔵氏と常磐炭砿の歴史 カンテラに🔥を灯しカーバイトの説明 当時の工具を手に持たせて説明 昨日の、スズメバチ🐝の巣を見せて注意を促した、
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
5
91
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
7 months
石炭層が見える模擬坑 元館長は農業用水溝を上下反対に設置して安全な抗口を作り、炭砿夫の経験を活かして木で組み抗口を作った 名前は、矢郷磐城神奈川炭礦山神坑と名付けた 矢郷は社長の名前、神奈川は社長の出身地、山神は山神様の麓で命名した 山を守る大山祇の神と石尊阿夫利神社、商売の神様
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
10
90
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
みろく沢炭砿資料館へ続く道 落ち葉清掃 爽やかになりました
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
12
89
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
突然、今日から トロッコ炭車修繕開始 所々虫食いがありました。 完成予定は25日 まで
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
12
88
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
幕府より三千俵の注文の呼び出し状 平蔵宛に午前10時迄に軍艦操練所へ遅れず出頭せよと、永井玄藩守役所から
Tweet media one
Tweet media two
0
10
88
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
岡田炭鉱 瀧之沢坑 明治35年4月頃のドラ下上層坑、現在の抗口跡復元、付近より滝山方面を望んだ最も古い写真である。弥勒沢地内で、この滝山と言うところは、不動沢と同じく、石炭発見当時から、多種な人たちが、この地に入って、炭鉱に手を染めた人が多かった。↓に続く
Tweet media one
Tweet media two
1
7
88
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
片寄平蔵翁と高崎今蔵翁が弥勒沢で石炭を発見した場所。奥に三星炭砿加納抗、三星炭砿不動沢抗等があった。この林の抗口から加納作平翁の碑を日の当たる場所に移動した。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
7
86
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
今日の作業 「石炭(スミ)の道」遊歩道の整備 道幅が広く成りました。 散歩して森林浴フィトンチッド効果も楽しんで下さい。
Tweet media one
Tweet media two
0
11
85
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
今日5月14日、午後5時30分からの「FMいわき76.2MHz『いわき地域メッセンジャー』」のパーソナリティー Ericoさんから電話インタビューを受けます 楽しみにして下さい♪
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
2
9
88
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
4月9日11時45分 弥勒沢は只今、線状降水帯の真下 無情の雨 皆さん周りに注意して下さい
0
10
87
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
滝山の瀧之澤炭砿は1859年頃から1950年迄長年、採炭をしていた 場所は、模擬抗「矢郷磐城神奈川炭砿山神抗」から上の山奥に 現在も山奥には、抗口がポッカリ開いて所がある 一枚目の写真は、明治35年頃の繁盛していた頃の記憶
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
9
87
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
法面の草刈りは非常〜にキツイ 草刈り用作業服は今年でお疲れ様ありがとうございました。ダネ
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
0
6
85
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
9 months
安全標語 坑内は安全第一
Tweet media one
0
15
86
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
安全標語ポスター 全国鉱山保安週間
Tweet media one
0
10
84
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
5 months
炭(スミ)の道整備 通りやすい遊歩道に、邪魔になる木を伐採
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
5
86
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
不動沢炭砿西坑 天狗岩、東下が本坑で、それから見て西の方角に当たることから、不動沢西坑と呼ばれ、大正12年頃は盛んに採掘をしていた。 本層の8尺炭までは深く100段ぐらい降りなければ炭層の座には付かなかったので俗に100段坑とも呼ばれた 当時は、まだ小さい乳飲子を背負って入坑していた
Tweet media one
Tweet media two
0
12
84
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
8 months
みろく沢に 春の花「菜の花」 一番咲き
Tweet media one
0
8
85
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
只今無事帰りました〜
Tweet media one
0
3
83
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
6 months
弥勒沢の春ウララ
Tweet media one
0
7
85
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
10 months
矢乃倉炭砿が使用した鉱員募集ポスター 昭和30年代の前半は、斜陽化ながらもまだ健在であった。当鉱の事業は目覚ましく、それだけ系列鉱も多くなって、鉱員募集が始まった。 辻の軒下や、人の目につき易い所に、多くのポスターが貼られた。
Tweet media one
Tweet media two
0
12
83
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
4 months
ポータブル蓄音機 蓄音機のレコードにかかる針圧は100g以上、現在のカートリッジ針は1g〜5g程度 針は片面聴きたら交換、レコードの音質も悪くなる 当時は、蓄音機より酒
2
12
83
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
11 months
絵で伝える常磐炭田史 江戸湾で外国の蒸気船黒船が碇泊し時折黒煙を上げていた、平蔵はその黒煙が石炭で船を動かす燃料になる事を紀州藩の御用商人明石屋治右衛門から聞かされて石炭への関心を抱く様になった。 平蔵はそれ以来、友人の高崎今蔵と夏井川を遡って、ついに白水川↓
Tweet media one
1
11
83
@MirokuZe40335
みろく沢炭砿資料館
3 months
1 回限りの脱出用空気浄化装置 です。地下の炭坑火災や爆発で放出される有毒な一酸化炭素 (CO) やその他のガスに対する保護をします。 フィルターはコンテナを開封してコンテナから取り出した後、すぐに使用できます。 汚染された周囲の空気から確実に坑夫を保護します。
Tweet media one
Tweet media two
Tweet media three
Tweet media four
0
10
87