【Los Angeles Life 2000】まだ日本でスケボーは不良の遊びと卑下された時代。それでも一部のプロは何度も海を渡り命懸けで夢を追った。俺は当時ストリートスケート最先端ブランド「World Industries」とインターナショナルライダー契約を交わしシグネチャーデッキのリリースに成功。20世紀最後の年に
【SKATEBOARD Life 2000】度重なる渡米修行の末、海外ブランドWorld Industriesからシグネチャーデッキをリリース。正式契約リリースは日本人第一号に。帰国後、世界的スケート雑誌THRASHERの日本版創刊号で表紙とインタビューを獲得。スケートボードで生きる可能性を日本で開拓。歴史を塗り替えた瞬間
【Los Angeles Life 2000】社会の管理下で無意味な暴力、人生を犯す薬物、輩達が永遠繰り返す不毛な争い。日本で俺の地元ストリートに夢はなかった。スケートボード片手に世界へ飛んだ。怪我に塗れスキルを追求し続ける自己責任の孤独な闘い。世界の壁への挑戦。自由への逃走の本質を知った20代だった
【Los Angeles Life 2000】日本でスケートじゃ喰えない時代。L.Aに飛んだ。観光じゃない。命懸けのサバイブ。現地人と同じかそれ以上の動きの長期滞在。金網を超えスポット侵入。パトカーが来たら即エスケープ。銃社会の危険を回避し夜はモーテルでGANGからゲトった極上クロニックでチル。そんな毎日